集中できない人たち
映画上映中にスマホいじりする若者、「2時間は耐えられない」・・・という記事がありました。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191124-00000004-moneypost-bus_all&p=2
自動車事故がおきるとすぐに高齢者に結び付ける人がいるので、弁護した方が良さそうなので記すと、多分、これは「若者」だけの話ではないと思うのです。
この人たちが、成長すれば、中年になるわけですが、その時も基本的には同じことなのだと思うのですよ。
だから、この傾向(トレンド)について、世間が危機感を持つかどうかが要点だと思うのですよね。
(まぁ、持たないでしょうけれども)
違和感を覚えるかもしれませんけれども、スマホ見ながらよそみ運転をしていて、重大な事故を起こしたという事件と、この記事の内容が、根っこのところでは、同じだと思うのですよ。
スマホは優れた機械です、数十年前には考えられなかったように、どこにいても、情報の授受のアシストをしてくれます、しかも、20世紀にはスーパーコンピューターと呼ばれるほどの性能を携帯して持ち歩いているわけですからね。
しかし、その反面、自分の周りの状況を無視してしまう傾向(歩きスマホなど)や、本件の様に、生活の中に割り込みを容認してしまい「集中できなくなること」を習慣づけてしまうことにもつながると思うのです。
割り込みの習慣化の何が悪いのかというと、集中力が切れると、自分や他人に迷惑を掛けてしまうこと(仕事)などについたときに致命的な失態を冒すことにあります。
繰り返しになりますが、先ほどの自動車事故などの事例が典型で、世間ではスマホ依存症というくくりで片づけていますが、その症状の中でも、先ほどから述べている割り込みを許してしまう癖をつけてしまうことが危ないのです。
一寸の間だから良いだろう、他人に迷惑を掛けてこなかったからいいだろう、しかしながら、自動車の運転では何が起きるか予測ができないので、最低限しっかりと周囲の状況を把握することが必要(必須)です、しかし、これには集中力がいるのです。
だから、ふと、なにげなく、スマホを覗いてしまう(癖)・・・これを、若い時から、何十年もかけて、体に染み込ませていくことは、実際どのようなことになるのでしょうか?
映画館の中の事ならばまだ影響は少ないのですが、これが習い性になったとき、それが大勢になった時、この世の中はどうなることでしょう?
車ならば、ドライブレコーダー、監視カメラ、ブレーキのアシストなど技術によって人間の認識の死角を補う様に、この先もなっていくのでしょうけれども、肝心の人間の方が、機械に任せて自分では周りを認識できない可能性(人間は見ている様で実は全然見ていないことはご存知でしょう)があるのが不安です。
20世紀は日本も製造業の国でしたが、今の状況を考えると、とても組み立てラインなどで歩留まりが上がるとは思えません(ライン作業で集中力を維持できないでしょう)、まぁ、既に、そういう製造業の国ではなくなったので、それはそれで良かったのかもしれませんね。
だから、多分、この先は、人間の感覚に頼らないでもやっていける方法が考えだされることでしょう、AIとかを利用してね。
でもそうしたら、人間様って、いばっていても一部の有能な人以外は、お荷物という次第ですよね?