随分前だったが開催にあたってIOCの会長が「無理してお金を掛けずにやればよい」のような発言をしていたことを記憶している、。
新しい国立競技場の建設費用に絡んだ発言だったような気がする、明らかに財政赤字の数字も特異な状況(今もそう)だったから、それにも配慮したのだろうか。
しかしながら、わが国はそういう事とは関係なく当初見積もりを大幅に越えてオリンピックに資金を投入してきた。
そして、世の中も、私が意識したのは2018年ころからか、事あるごとに2020年東京オリンピックという言葉が特にマスコミ関連で使われるようになった。
以前(たぶん2019年)、このブログで「何故、今年の事を考えないで2020年のことばかり言うのだろうか」と疑問を呈したことがあった。
そして、東京では、かつてのバブルの様に建設ラッシュになり、地価も高騰した。
たぶん、仕方ないのだろうと思う、日々、堅実に暮らしていくだけでは、国にとっては何かが足りない状況に明らかに陥っているのだろう?
だから、新しい事と称して、場合によるとリスクがある領域に足を踏み込むことになるのだろう、IR法案なんかも、20世紀の日本では(国民感情や倫理的に)通らなかっただろうね。
今の状況は、労働者数が減少傾向、かつての基幹産業であった製造業は衰退かグローバル化している、労働時間は減少する方向で政府が指導している、とすれば、楽して儲かるビジネスしか成立しないよね?
だからIRなんだろうかね、実績はあるらしいしね、ただし、国は荒れるだろうね。
「人生100年時代」というような言葉を(たしか)首相も使っていたけれども、高齢者に怨嗟の声を上げる若者が結構いるこの国では皮肉にしか聞こえない。
そうそう、政治家が自分の任期に合わせて(延期した)オリンピックの日程は決めないで欲しいな、来年そんな姿が伺えたら、本当にこの国の政治は終わったと判断しても良いと思うよ。