新コロナウィルス禍について老子の言葉を噛みしめる
新コロナウィルスの蔓延の最中、誰の言葉かわからないでもやもやしていたことがある。
それは、世の中そんなにあちこちに移動しなくとも自分の土地で慎ましく暮らせればそれでよいというようなことだった。
そんなわけでしらべると、それは老子にあった。
保立道久さんのサイトから現代語訳と原文を参照させてもらった。
https://note.com/michihisahotate/n/n4f5c6abee089#Qv6Di
小国寡民(人はそんなんなに多くの人と群れなくともよい)
(原文)
小国寡民。使有十百之器而不用、使民重死而不遠徙。雖有舟輿、無所乘之、雖有甲兵、無所陳之。使民復結縄而用之。
甘其食、美其服、安其居、楽其俗。隣国相望、鶏犬之声相聞、民至老死、不相往來。
(現代語訳)
国は小さくて人は少ない方がよい。人力の十倍・百倍の器械があっても用いず、人は死を怖れ、遠くへ移ることなどはなく静かに生きる国である。船や車に多くの人が乗って動くことはなく、ましてや甲冑や武具を並べて陣をはるようなことはしない。そこでは、面倒な書類はいらない。縄を結んで数を数えていた昔でも、社会は成り立っていたのだ。住んでいる土地のものを甘(うま)いといい、土地の服を美しいといい、その住処に休まって、その慣わしを楽しむ。隣邦はすぐそばで、鶏は競って鳴き、犬は吠えて群れるのが聞こえるだろう。しかし、人は老成して死ぬまで、そんなに多くの人と行き来して群れなくてもよいのだ。
まぁ、新聞のコラムなどでは、今回のコロナ禍に対して、これを用いた方もいるだろう(新聞読まないのであくまで想像だけれどもね)、残念ながら、TVなどではこういう考え方の人をお見受けしなかった。
国境を境して、隣国の鶏の声も聞こえるところにいながら、満足してそこにいる。
そうすれば、こういう災禍もおこらない、では、それは何故に起こるのか?
老子は比較的短いしね。