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「日本学術会議の日共支配」は39年も前に指摘されていた 執筆者が改めて語る問題点

日本学術会議の日共支配」は39年も前に指摘されていた 執筆者が改めて語る問題点
11/17(火) 5:58配信 デイリー新潮

桑原武夫も批判
 ニュースサイト「TBS NEWS」は11月9日、「JNN世論調査、『学術会議』説明不十分56%」の記事を配信した(註:全角数字を半角に改めるなど、デイリー新潮の表記法に変えた、以下同)。
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 日本学術会議の問題に対し、《全国18歳以上の男女》はどんな回答を行ったのか、引用させていただく。
菅総理日本学術会議の会員候補となっていた学者6人の任命を見送ったことについて、菅総理の説明が「十分だ」と答えた人は21%にとどまり、「不十分だ」が56%に達しました。一方で、政府が進める学術会議の見直しの議論については、見直しに「賛成」が66%、「反対」は14%でした》
 世論は「学術会議の何が問題なのか、よく分からない」と思っているようだ。回答者は菅義偉首相(71)に丁寧な説明を求め、見直しの議論が活発化することを望んだのだろう。
 日本学術会議の根本的な問題とは何か──疑問を解く方法の1つに、過去に遡るというアプローチがある。最初に学術会議の問題を指摘した文献を“発掘”し、現状と照らし合わせるのだ。
 文藝春秋が発刊していた月刊誌「諸君!」(2009年5月休刊)の1982年1月号に、政治評論家の屋山太郎氏が寄稿した「日本学術会議解体のすすめ」が掲載されている。
 サブタイトルは《共産党に占拠された二流学者集団に血税七億円余のムダづかい》というものだ。
 このサブタイトルに、屋山氏の主張が凝縮されている。つまり、【1】日本学術会議共産党に《占拠》されている、【2】学術会議に《血税》が使われている問題──この2点だ。

吉田茂も激怒
 まずは屋山氏に、寄稿の反響から振り返ってもらった。
「当時、雑誌を読んだという自民党の国会議員から問い合わせが相次ぎ、色んな場所に呼ばれて説明しました。『日本学術会議の問題を初めて知った』という感想が多かったですね。もちろん今回の議論も注視していますが、学術会議の問題点は当時も現在も変わっていないことを再認識しました」
 改めて屋山氏に学術会議の問題について訊くと、最初に「内閣府の特別機関として役割を果たしていない」ことを挙げた。上記【2】の問題だ。
「どんな省庁でも、役所の中で様々な議論が行われることは何も問題がありません。議論の中に政権の方針に異を唱える内容があっても構いません。しかしながら、実際に政策を遂行する際には、内閣の方針に従わなければなりません」
 例えば、国会の論戦を経て、内閣が「高速道路を作りなさい」と国交省に指示したとする。それに「建設しません」と反旗を翻したら大問題になることは言うまでもない。
 ところが、それを繰り返してきたのが、日本学術会議だという。屋山氏の原稿には、具体的な事例が紹介されている。
 その原点がサンフランシスコ講和条約だ。日本は1951年に条約を調印、第2次世界大戦における戦争状態と、連合軍による占領を終結させ、主権を回復した。
 ところが、米ソの冷戦は既に45年から始まっていた。日本は条約を結ぶ際、ソ連を代表とする“東側諸国”も含めた全面講和を目指すべきか、アメリカなどの“西側諸国”と単独講和に踏み切るか、世論は2つに割れていた。
 日本学術会議は50年、単独講和に反対する決議を採択。屋山氏の寄稿には学術会議が《吉田首相を激怒させた》ことが紹介されている。首相だった吉田茂(1878~1967)は単独講和を決断していたからだ。
《吉田首相が東大総長で学術会議会員だった南原繁氏を名指しで「曲学阿世の徒」とののしったのはこの時だ》

日共の“浸透”
 その後も日本学術会議は政府の方針に異を唱え続けた。屋山氏の寄稿から引用すると、否定されたものも含め、《「再軍備反対」の声明案》、《破防法反対声明》、《「日本国内での原潜入港は望ましくない」との声明》、《大学管理法反対》、《教育二法反対》、《警職法反対》、《筑波大法反対》──という具合だ。
 これに屋山氏は、《戦後の大きな政治問題ではことごとく政府に反対を打ち出した。こうなると最早、学術団体ではなく政治問題である》と指摘した。
 当時の自由党や、55年に結成された自民党は、日本学術会議の態度を問題視していた。講和問題で激怒した首相の吉田が民営化を目指したことも寄稿には記されている。
《(編集部註:昭和)二十八年「学術会議を民営に移すよう」事務当局に検討を命じ、学術会議の運命は風前の灯火となった。が、二十九年末、吉田内閣の方が先に倒れて沙汰やみとなり、学術会議は九死に一生を得た》
 だが当時の文部省や、学術会議の“政治的偏向”を嫌った有識者などが中心となって日本学士院を、科学技術庁(現:文科省)が科学技術審議会を発足させた。
 これを屋山氏は、《要するに親会社に見切りをつけて、子会社を続々と分離独立させてしまった格好である》と解説している。
 なぜ、日本学術会議は政治的に偏向したのか、先に紹介した【1】日本学術会議共産党に《占拠》されている理由として、屋山氏は選挙に原因があるとした。
 日本学術会議は49年の発足から84年まで、選挙によって会員を選んでいた。日本共産党はこれに目をつけ、シンパや党員の学者に有権者登録を積極的に行わせ、関係の深い日本科学者会議のメンバーを立候補させていた。組織票の力は強く、候補者は当選が相次いだ。
《日共が学術会議を「攻略し終わった」といわれたのは、第九期だが、たとえばこの選挙の第四部(理学)をみてみる。立候補者は四十二名で、このうち日科系(新左翼も含む)の当選者は定員三十名中十四名。落選者十二名の内訳はノンポリが十名、日科系はわずか二名だった。いかに日共の票割りが正確だったかわかるだろう》
《日共党員の数は日教組や全日自労では三~四%といわれる。わずか数パーセントであの強大な組織を意のままに動かす日共の“実力”を考えると、四〇%近い数を握った学術会議が、日共に牛耳られるのは、むしろ当たり前のことだ》

桑原武夫の述懐
 だが、40%は過半数ではないと気づいた方もおられるだろう。60%が非共産党系の会員である可能性は高く、《日共に牛耳られる》の表現はオーバーではないだろうか? 
「いえ、それでも会議の主導権を握ることは不可能ではないと、共産党が証明しました。更に少数派であるにもかかわらず、議決で“過半数”を取ってしまうというマジックも珍しくありませんでした」(同・屋山氏)
 屋山氏の寄稿では、このカラクリを解く鍵が、『桑原武夫全集第七巻』(岩波書店)に書かれていたことを突き止めている。
 桑原武夫(1904~1988)は、フランス文学の研究者としてあまりに有名だ。自身が京都帝国大学文学を卒業したこともあり、京大人文研で先駆的な学際共同研究システムを推進したことは今でも高く評価されている。
 桑原は21年間、学術会議の会員であり、会議の副会長も務めた。そんな桑原が“過半数”について、次のような指摘を行っている。
《学術会議で私はいろいろの経験をし、多くのことを学んだが、その小さなことの一つは過半数ということについてである。会議ではすべて過半数をもってことが決まる。たとえば十五人の委員会なら、決済に必要な過半数は八票だと思っていたが、時として五票で足りる場合があることを知ったのである》
《左派の会員の結束は堅かったのである。それに欠席の問題であるが、左派の人は勤勉で出席率がきわめて高い。私は『自由主義者』(編集部註:原文は「リベラル」のルビ)ほどあてにならぬものはないことをしだいに理解した。彼らは個人として名論卓説を吐くことは得意だが、さてその主張を生かすべき会議には欠席、遅刻することが多いのである。……十五中の五は過半数だという理屈がここから生じる》

求められる民営化
 15人の委員会なら、過半数は8票。左派の委員が5人、リベラル派の議員が10人だったとすれば、左派の意向が委員会に反映されることはないはずだ。
 ところが、リベラル派は学術会議の活動に熱心ではない層が存在する。左派は誰もが活動に打ち込んでいる。
 リベラル派の出席率は悪い。6人が休んで9人になってしまえば、5対4で左派が過半数を取ってしまうことが可能になる。
 屋山氏は「今でも日本学術会議の会員は、政治的には偏向していない人が大半だと思います」と指摘する。
「それでも会議の論調を左傾化させることは、決して難しくはありません。左派が団結して自分たちの主張をゴリ押しすると、普通の会員は嫌がって議論を放棄してしまいます。議論をまとめる責任者も日本人らしく、波風を立てず、つつがなく議論をまとめ上げようとします。こうして声が大きな左派の方が勝ってしまうのです」
 屋山氏は抜本的な改善策として「民営化」を提言する。
「まずは会員の払う会費と、寄付で運営してみるべきです。税金が使われず、内閣の一員という位置づけがなくなるのであれば、どのような提言を行っても自由です。それこそ学問の自由によって守られるべきでしょう」
 屋山氏は民営化で“副産物”が生じる可能性があるという。それは「日本学術会議の自浄作用」だ。
「学術会議は2017年、『軍事的安全保障研究に関する声明』を発表しました。大学などの研究機関は軍事研究に関与すべきではないという内容で、現在の学術会議見直し議論でも指摘されることの多い声明です」
 このいかにも左派らしい声明だが、屋山氏は「内部では異論も多く、発表にあたってはかなり玉虫色の表現に後退した」という経緯を耳にしているという。
「何が何でも軍事研究反対という会員も実は少数派なのです。民営化が実現すれば、自分たちが会費を出しているからこそ、より現実的で内容のある議論が期待できます。多数派の良識が学術会議の政治的偏向を是正するかもしれないのです」

週刊新潮WEB取材班
2020年11月17日 掲載

新潮社ってもう少し偏っているのかと思ったら、結構多様性があるのだなと感じた。

逆に、記事を読む人たちの偏りが激しいのかもしれない。

この記事で共産党の実質的に配下となった学術会議が悪い(善いという人もいるかもしれない)という判断に、私は疑問だ。

そもそも、時間のレンジが広すぎて、それが本論の傷となっているように思う、吉田茂の言葉を持ち出した時の、その当時の国民の志向(意思)はどうだったのかを考えてみても良いと思った。

例えば、何故、南原繁は東大総長だったのかと考えて見れば良い。

そして、いちおう表記は「自民党」なるものが、長い間日本の与党として君臨してきたのだが、その政策は一枚岩だったのかもよく考えた方が良い。

何故、今は公明党と連立しているのかも、長い時間の変遷の中で見ると興味のあるところではないのか?

そして、学術会議が反政府的だとしても、それを微塵も感じさせずに発展を遂げてきた時代(高度成長期~バブル崩壊程度)があったことについても考えて見れば良い。

その時の日本はどうだったのか?

何故、今は、学術会議の任命問題ということから、存続問題に転じたのか?

それは、現在の問題だからだ、現在の政権、世論(?)として問題だということだ。

以前は、面倒な組織でも無視できた、今はできない情勢のようだ?

それは、何故なのか・・・ということを、ここまで、長いレンジで振り返ったのならば、まとめとして書けばよい。

それは、日本の弱体化、老齢化だと思う。