110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

「プチ帝國主義」論批判(野呂榮太郎著)

本書は三一書房から昭和24年に刊行されたもの。

わかる人にはわかるのだが、この著者はマルクス主義者だ。

彼は戦前若くして捕えられ拷問を受ける中持病である結核を悪化させ死亡した、昭和9年のことだ。

本書は昭和2年から7年ころまでの戦前に未刊の著作を戦後に出版したもの、私は、表題の「プチ帝國主義」という字面に惹かれて読み始めたのだが、至ってまともな本である。

氏は、当時の日本が帝国主義化し、このままでは、領土の侵略(すでに侵略している、いや、公式には進出?)から帝国主義戦争へ至るという論調で、今から考えると至ってまともな論理展開とも言えるのだが、社会主義者であること(社会主義者にも権力に寄り添う者もいるらしいのでややこしいというのが本書でわかる)、から取り上げられなかった、いや、却って弾圧されたというのが現実だったのだろう。

そういう面から見ると、現在の多くの人々には全く理解できないだろうが、昭和のある時期まで、社会主義思想がそれほど違和感なく受け入れれていた時期があることは不思議ではない。

今年に入り、NHKの「100分de名著」がマルクスの「資本論」を取り扱ったので、テキストを買って見てみたのだが、彼の問題意識は、例えば、現在のコロナ禍などで、社会的、そして資本主義社会では経済的に弱いものに、そのしわ寄せが行くという問題、格差の問題をとりあげていたのだ。

資本主義は限りなく資本を増殖しようとする、そのためには、人間さえも搾取するし、地球の資源さえ搾取する、これでは、社会が(地球すらも)持たないのではないか?

そういう論点は、この戦前に書かれた論考にも共通している、一部の金融資本家(財閥)にお金が集中し、一般国民は貧苦にあえぐ、それでも、産業の拡大に需要が追いつかなければ、植民地を求めて市場拡大する、その先は、ご存知の通り。

私達は、ソ連の崩壊事例から、社会主義共産主義、そして、マルクスをタブー視しているようだが、共産主義国である中国でさえ、資本主義的発達を遂げて、現在に至ることを目の当たりにすれば、資本主義と共産主義とを両立して比較することには疑問を持っても良いのではないか?

だから、もう一度、資本論、そして、マルクスの論考は読み直してみても良いのではないか、と「100分de名著」の資本論を紹介した、斎藤幸平氏も述べているし、斎藤氏の著作も含めて今後もフォローしていきたいと思っている。

確かに、資本主義は発展の極みにはその体制の自己矛盾から、社会主義共産主義へと転じる・・・という、今から考えると楽観的な論理は間違いのようだが、資本主義というものをうまくコントロールしていかないとまずいことになりそうだというのは、(マルクスの、そして野呂氏の生きていた)当時とは違う意味かもしれないけれどもひしひしと感じるところがある。