110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

(Eテレ)コヘレトの言葉が終わった

最終回の再放送は日曜の深夜1:00からだった、実は、最初は勘違いしていて、日曜日の13:00だと思っていたのだが、たまたま、1週間前の日曜の13:00に見たら全然別の放送だったので、チェックしなおしたのが良かった。

最終話の放送中でも触れられたが、昨年、たった1回だけ放送した後、半年ほど、延期になったという曰く付きの題目だが、全6回を見た感想としては、TV番組そのものの面白さとか洗練度とかいう視点で見ると、出来は良くない、小友聡氏も本当に学者だなという感じで、知識はあるが説明は下手みたいなところがあり、相方の若松英輔氏がうまく(?)とフォローしていくという構図だった。

その期待の最終話も、なんとなく終わったという感じでとりとめもない。

でも、良かったと思う、そんなに簡単に、わかりやすく伝えられることではないですから。

「コヘレトの言葉」(伝道の書)が旧約聖書中にあること、未だに、様々な立場の人々が(最近ではバイデン氏も使ったらしい)引用して、話したり、書いたりしているものであること、そして、今、長びているコロナ禍のような特殊な状況下で読んで考えるには良い題材だということ、まことに、本編でも話題になった「時(秋の字を当てる時もある)」を感じさせるものでありました。

しかしながら、この最終回をまとめるに当たってとりあげられた、生きること、そして、種を蒔くこと、これは、現在のコロナ禍の中でどうすればよいのかを、ふと、考えさせられました。

コヘレトの言葉の中で、神の業は私達には知ることができない、と記されているので、考えることは無駄なのかもしれません、でも、引っかかってしまったのです。

種を蒔くことが、誰、何に対してなのか・・・私達は無条件に人間を相手に考えてしまいます。

でも、これだけ地球の環境が明らかに変わってきていることを考えると、種を蒔くことは、もしかすると、ひとまず、人間が自粛することなのではないのかとも思ってしまいます。

これだけ、地球上の生き物を殺戮してきたわけですから、ぼつぼつ、手を汚すのを止めてもよいのではないのか?

たぶん、今の社会システムでは無理です。

そんな時に、種を蒔くとは、堂々巡りになりますが、どうすればよいのでしょう?