110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

コロナ禍で蔓延したのは自己正常化バイアス

正常化バイアスという言葉を目にするようになった。

私的な解釈だと、自分の都合の良いように物事を解釈することだと思っている。

肩ぶつかるほど混み合う…大阪の繁華街に集まる人・人・人「仕事で土日しか遊べないから」
6/7(月) 6:57配信 読売新聞オンライン
 大阪、東京など9都道府県で緊急事態宣言が延長されて初の日曜日となった6日、関西や中国の5府県では、先月よりも人出が増える地点が目立った。
 スマートフォンの位置情報から滞在人口を推計するNTTドコモの「モバイル空間統計」で6日午後3時台の人出と、5月の日曜日の同時間帯の平均を分析した。
 関西3府県では、大阪・梅田が34%増、難波は28%増だったほか、JR京都やJR三ノ宮両駅も2~3割増えた。中国2県は、JR岡山駅が1割増えたが、JR広島駅は13%減だった。
 大阪府では延長期間に入った1日以降、平日に限り大規模商業施設などは時短営業が可能になった一方、土日は休業要請を継続中だが、人出の増加によるリバウンド(感染の再拡大)が懸念される。ミナミの心斎橋筋商店街は互いの肩がぶつかるほど混み合っていた。友人と遊びに来た大阪府和泉市の飲食業男性(24)は「仕事で土日しか遊べない。感染状況が落ち着いてきたので、3か月ぶりに出歩いた」と話した。

まぁ、人手が増えれば感染者も増えるという相関関係は実際の経験でもあるのだが、感染対策をしっかりしていれば、その確率は相当減らせることも事実だ。

例えば、以上の記事でも「仕事で土日しか遊べない。感染状況が落ち着いてきたので、3か月ぶりに出歩いた」というコメントを記しているのだが、昨日の大坂の感染者数は145名、あの、パンデミックと比べれば雲泥の差だが、感染拡大の少し前、今年の2/26の感染者数は77名で、とても「落ち着いてきた」とは言えないことに気づく。

コロナ禍が長期化してきて、みんなが慣れたというのは正しい見解だろう、そして、それに伴って、正常化バイアスも一般化してきたのだろう。

 

以下のは、とても良い記事だ、後編もあるようだが、読んでみたいと思った。

しかし、突っ込んでみたい部分もある。

「緊急事態宣言がオリンピックのためなら、もう我慢する理由がない」 ‟署名も陳情も届かない”飲食業界の‟苦しみ”
6/7(月) 11:12配信 文春オンライン
 食と酒にまつわる「ひと」と「時代」をテーマに取材を重ねてきた井川直子さん。井川さんは2020年の第一波のさなか、緊急事態宣言を受けて過酷な判断を迫られるシェフや店主たちの声を集め『 シェフたちのコロナ禍 道なき道をゆく三十四人の記録 』(文藝春秋)にまとめた。あれから1年。シェフたちはどのような思いを抱いているのだろうか。(全2回の1回目。 2回目 を読む)

6月から堰を切った「営業再開」
 ついにダムが決壊した、と感じた。
 飲食店の現場にも、SNS上にも、とめどなく溢れ出る「6月からお酒を提供します」「通常営業を再開します」の言葉。シェフや店主たちの宣言は、しかし晴れ晴れとしたものでは決してない。
 ニュースなどでは、「ルール破り、ごめんなさい」と世間へ手を合わせるように通常営業を再開する店主や、逆に「お酒が飲めます」とアピールして密を生んでしまった店などが連日報道されている。だが、私が実際目にする飲食店の場合、そういった「困窮」や「背徳」のニュアンスでもちょっとない。
 たしかに経済的にも精神的にも限界線上にあるが、そんな状況においても「利他」の目線を持ち、自身の正義に従った「自立」を選択した、という印象だ。
〈「医療崩壊をさせないために、ずっと我慢してきました。政治家の飲み会の報道が出ても、病院が逼迫しているなら堪えようと。だけど今回の緊急事態宣言は、オリンピックのためではないのか? だったらもう、我慢する理由がない」〉
〈「“飲食店”“お酒”とひと括りにせず、科学的根拠に基づいたガイドラインを設け、認めた上で規制を緩和してほしい。僕は正々堂々と、レストランがしたい」〉
〈「感染予防対策の努力を尽くしたうえで、お店を開けながら日本の第一次産業を守っていくのも飲食店の役割だと考えました」〉
〈「お店もだけど、お客さまも我慢の限界。レストランの、本来の仕事ってなんなのか? ただお腹を満たすためだけの場所じゃない、心も体も元気になってもらいたい。だから、動きます」〉

言いたいことをすべて吞みこみ酒瓶の蓋を閉めた4月25日
 遡れば飲食業界は、昨年の第一波からずっと辛抱し、書き入れ時にことごとく発出される要請にも応じてきた。2020年の1年間をまともに営業できなかったうえ、東京都では昨年11月28日からの時間短縮営業が、もう6カ月も続いている。
 そこへきての、「お酒の提供は終日禁止」だった。
 “令和の禁酒法”とも呼ばれたこの要請には、飲食業界のみならず、世間の人々も度肝を抜かれたのではないだろうか。
 お酒によって人が集まる、会話が多くなる、声は大きくなる。それはわかるが、じゃあ1人静かに飲むオーセンティックバーや、隣のテーブルと2メートルも離れているグランメゾンでは?
「お店ごとの環境、感染防止対策状況を抜きにして、一律にお酒を禁止するのは非科学的。そうではなく科学的なガイドラインを作って、段階的に承認していく政策を要望します」
 そんなふうに飲食業界から続々と上がった声は、署名しても陳情しても行政には届かず、4月25日~5月11日の禁酒法は実行されることになった。店主たちは、首相や都知事の「集中して」「今が正念場」というお決まりのフレーズを今回も信じることにして、言いたいことをすべて吞みこみ酒瓶の蓋を閉めた。
 医療現場のため、感染者を減らすため、早く通常の日々を取り戻すために。

アイデンティティが失われていく
 この17日間に関しては、お酒が主役のバーや居酒屋、お酒と料理が切り離せないバルやオステリアなどは、「店を開けてもお客は来ないだろう」「うちの料理はお酒とセットでなければ」と休業する店が目立った。
 一方では、期間限定で業態変更を試みた店もある。ワインスタンドがコーヒースタンドに、ビアバーが定食屋に、オーセンティックバーがノンアルコールバーに。レストランでは、近年注目のノンアルコールカクテルや中国茶をオンリストしていた店も多かったが、ノンアルコールペアリングをさらに強化した。
 切実なはずなのに、思わずワクワクしてしまうような試みからはこんな気持が伝わってくる。
「どうせなら楽しく、前向きに。こんなときに来てくれるお客さんに、喜んでもらえることを考えよう」
 しかし店主たちがそう切り替えられたのは、ゴールデン・ウィークの感染拡大を防ぐための短期集中だったからだ。ここさえ乗り切ればいいはずだった。ところがゴールデン・ウィークが明けると、相変わらず科学的な検証もないまま、時短も禁酒も5月末までの延長が決定された。
 最初はノンアルコールを面白がってくれたお客が、引いていく。要請解除を予想して予約を入れていた人たちのキャンセルラッシュも浴びて、「予約が取れない店」といわれたレストランにも予約ゼロの日が訪れた。
 フランス料理やイタリア料理のレストランでワインを、居酒屋で日本酒を、バーでカクテルを失ったらどうなるか。売上激減もさることながら、最も深刻な問題は、店主たち自身のアイデンティティが失われるということだ。

そして再延長の6月にダムは決壊
 かくして5月12日以降、お酒を提供する店はじわじわと増え始め、そして再延長の6月にダムは決壊したのである。
 要請にことごとく応えてきた人々は、今回「NO」を言うことにどれだけ葛藤したことだろう。アイデンティティのためだけじゃない。それだけが理由なら、こんなに多くは動かなかったかもしれない。
 シェフや店主たちは、常にこう語っている。
「飲食店は、お客さんはもとより生産者、醸造家、流通業者、地元の人たちに支えられて成り立っている」
 飲食店が止まれば、周りにあるすべてが止まる。そのうえで今、社会における自分の役割は何か? 業界全体のためにできることは? そういった目線を持って絞り出した答えには、彼らなりの正義がある。
 それは胸が痛くなるほどの、退路を断った決意表明だった。

要請を守る、しんどい道を選んだ人々
 だが国や都の要請である限り、当然「守る」ほうがパブリックには正義である。お酒の売上がゼロという経営の苦しみも、今すぐ動きたいのに一歩も前に踏み出せないもどかしさも、混乱を生んだ要請に対する悔しさも、彼らは黙って受け入れた。よりしんどい道のほうを選んだ、とも言える決断は、どんな思いから生まれたのだろうか。
〈「正直者が馬鹿をみる。そんな世の中になっちゃっているけど、それでもね。協力金と融資でなんとかやっていけるなら、そうした方がいい」〉
〈「法律だったり、校則だったり、僕らの身を守ることはすべての人に正しく当てはまるものじゃないから。少なくとも、僕は要請に従える状況にある」〉
〈「要請がいくら理不尽でも、ルールである限りしかたがない。ルールを守らないのは自分自身が気持ち悪いし、そんな気持ちのまま料理を作るのは嫌だなって思いました」〉
〈「僕らの店は商店街のほかのお店や、地元の人たちともいい関係を築いてきました。街の人は見ています。その信用を失いたくないから」〉

「できることを見つけて」新たな動きを見せる店も
 先に「動き出せないもどかしさ」と書いたが、時短営業とノンアルコールを守りながら、できることを見つけて動き出すお店もある。
〈「(時短で)空いた時間を使って、他店へ料理やサービスの勉強に行きます。通常営業に戻ったらなかなかできないから」〉
〈「要請には従いながら、レストラン以外のマルシェなどで流通を止めない工夫をしたり、いろんな形で乗り越えていければ。また新しいプロジェクトの準備も進めます」〉
 要請を守ることが正解なのか? その要請は正解なのか? 正解は誰が決めるものなのか?
 第一波での大混乱から1年、今再び「何が正解なのかわからない」なかで、世の中に分断が起きている。お酒の提供を決めた飲食店を「身勝手だ」と非難する人。逆に要請を守っている店に「根性ないな」と吐き捨てるお客もいるという。
 人と人とが分断される要因の一つは、「知らない」ことにある。自分とは違う背景を持つ人の答えを、その真意もわからないまま、自分の拙い想像だけでジャッジする。私たちは案外、気づかぬうちにそれをしてしまう。
 要請を「守る」「守らない」「守れない」。それぞれの答えを出したシェフや店主たちが、そこへ至るまでの1年をどう戦ってきたのか。ここで時計の針を巻き戻してみたい。

この1年を、どう戦ってきたのか?
 昨年春。人類未曾有の感染症が日本にも襲いかかってきた第一波。私たちは混乱し、やはり分断した。
 不要不急の外出自粛、会食自粛が要請されて、外出や会食先である飲食店からお客が消えた。飲食店に休業要請は出ていないし、補償もない。
 そのなかで飲食店は、自主的に休業する店と、通常営業を続ける店とで分かれた。
 当時「店を開ければ外出や会食を誘うことになるから」と休業を決めた店は、「休めるだけの余力があるからできること」と妬まれ、営業を続ける店のほうも「みんなが自粛しているのに」とモラルを問われ。自粛警察と呼ばれる人々から、インターネットで批判されたり、貼り紙をされる飲食店もあったほどだ。
 補償なき自主休業か、お客のこない営業か、それともほかに道はあるのか? 飲食店のリーダーたちは、日々苦悶の中にあった。
「何が正解なのかわからない」
 わかっていたのは、どっちへ進んでも茨の道だということだ。

第一波で拾い集めたシェフや店主たちの声
 そんな第一波で、私は、シェフや店主たちの声を拾い集めた。
 政治も世の中も、飲食店を巡る状況も大混乱のさなかにあり、彼らの答えも今日と明日では変わってしまう。だから「今日の答」として、平均1.6日に1人のペースでウェブサイトの「 note 」で発表。これをまとめ、半年後の追加取材を加筆したのが『 シェフたちのコロナ禍 道なき道をゆく三十四人の記録 』(文藝春秋)である。
 本書に登場する34人の答えは、すべてが「違う」。
 レストランか居酒屋か、大勢のスタッフを雇っているのかワンオペレーションか、1店舗か多店舗か。都心の繁華街にあるのか、郊外の静かな住宅街か、老舗か新店か。背景が違えば、抱える問題も、視点も変わる。さらには一店一店、一人ひとり、毎日違う。
 初めての緊急事態宣言下、そして第二波を乗り越えた10月。2020年のシェフたちは、それぞれの場所でどう戦い、日々どんな答えを出してきたのだろうか。
「コロナ禍になって禁酒の今が一番厳しい」 ‟倒産”と隣り合わせの飲食店店主たちの‟悲痛な叫び へ続く
井川 直子/文藝出版局

 生活があるから要請には従わない、それには、これこれ、こういう事情があるのだ、という記事なのだ。

しかし、この記事にも出てくる言葉で「自粛警察」というのが悪いイメージで書かれているのだが、それは、自分たちできちんと統制できるという前提あってのものだが、結果としては、できていないことをここ1年間ほどかけて証明したわけだ。

だから、生きるために仕方がないことはわかったから、営業再開したお店は、例えば、クラスターを発生した場合、その責任を全て取る、場合によっては店を閉鎖することを公言してその覚悟でやってもらっていればそれで良いと思う。

逆に、適当に、目先の利益だけ開くのならば、今こそ、自粛警察を再活動させても良いと思う。

感染拡大が収束しないのは、全て、国民の対応によるものだという、基本姿勢が抜けている。

いわゆる、国民が総体的にできていなかったから、非常事態宣言が続いているのだ。

先の取り上げた記事のように、自分の勝手な目線で「落ち着いた」と判断して、街に出てくる、その増えた人出が、ある確率のもとで感染を増やす。

さらに、都合のよいことに、オリンピックを引き合いに出して、さらに、自己の正常化バイアスを強化する。

 

ちなみに、オリンピック開催の責任は、明らかに国にある、開会したことで、クラスターが発生したり、新規感染者数が増えれば、国の責任を公式に糾弾できる。

しかし、自治体の判断ミスやその地域の住民の(一部)非協力で感染爆発した場合、例えば、大阪府の最近の事例でも責任はうやむやのままになる(これが自由の代償でもある)。

この部分の違いをきちんと認識すれば、オリンピックがあるから、非常事態宣言を無視してよいという議論にはならない。

それならば、先にも上げたように、当店でクラスターが発生したら、全て責任を負います、場合によっては廃業しますと、宣言した、飲食店が営業を再開するべきだと思う。

そうすれば、飲食店での感染対策のレベルは格段に上がるはずだ。