110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

日本文化はどうなるのだろう?

 福島民報社という私は良く知らない新聞社の記事、良くできていると思うので備忘録として上げる。
 「文化」も政治的なものなのかもしれないけれども、(沖縄や外交問題などでは)歴史性を否定したい安倍さんが文化と言って万葉集の時代まで飛んでしまうのは「(万葉の時代はどうせわからないことが多いから)歴史性をつっこまれないよね」ということかもしれないね(どう?)。
 忙しいからかもしれないけれども「教養」という面では期待できない人だね(安倍さん)、取り巻き(の知識人)も悪いのかな?
これからの日本文化は?(4月7日)
4/7(日) 9:24配信 福島民報
 新元号「令和」について安倍晋三首相は談話を発表した。それを聞きながらテレビの中の安倍首相を、よく夢のようなユートピア日本を平然と、というより誇らしげに語れるものだと唖然[あぜん]とし腹立たしくなった。
 お祝いなのだからいいじゃないかと思われるかもしれないが「一人一人の日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい」という言葉など好[い]い加減[かげん]にせよと言いたくなる。
 なかでも私が一番気になったのは「薫り高き文化」など文化の語を何度も使ったことである。これまで安倍首相が文化について語ったという記憶が私にはほとんどない。
 多くの文化や芸能関係の団体を中心に、文化庁を文化省にするべきという運動が高まってきているのだが、現内閣はそれには耳を傾けず、却[かえ]って文化庁を他の省庁に先がけて京都に移すことにしている。また文化庁は昨年十月抜本的な組織替えをしたが、国際課は文化経済・国際課になり、新しく文化資源活用課ができたが、芸術文化課はなくなった。現内閣から指示があったのか、まさかいま流行の忖度[そんたく]をしたのかわからないけれど、すべて経済が尺度になっている。どうも文化、とくに伝統文化を見世[せ]物的に使う意図があるように見えるのが心配である。
 一方、大学も経済優先で整理統合を迫られ、教育機関としての意味だけが強調され、授業時数確保のために教員は祝日まで授業をさせられている。重要な研究機関としての役割は軽視され、その予算は毎年大きく削られている。どの学問分野でも基礎的な部分が重要なのは当然だが、理系でも文系でもこうした研究はまったく冷遇されている。それでも若い研究者たちは食うや食わずで研究しており、とても「花を咲かせる」状況ではないのである。
 本来文化にはひじょうに広い意味がある。学問や芸術、技術、宗教、教育などから衣食住などの生活全般に関わっている。ところが少し前までは教育を司[つかさど]る文部省が大きな権限を持ち、文化庁はその外局のような立場であった。今は文部科学省になり、スポーツ庁ができて多少変わったように見えるが、依然として教育が文化の上にある本質は変わっていない。本来ならば文化省があって教育局がその中の一つの局でいいのではないだろうか。恐らく明治時代に兎[と]に角[かく]西洋文化に追い付くことが大事という考えで、教育を最重要と位置づけたのであろう。しかしその必要はなくなっているのだから、文化と教育の行政組織は根本的に変えるべきではないだろうか。それが実現すれば、日本の文化がこれからどうあるべきか、その政策を大きな視野で本格的に打ち立てることができると思う。
 ただ平安時代以来の役所名の文部省を守りつづけてきた城の守りは堅そうである。これは安倍談話にも劣らぬ夢物語と笑われそうだが、私は夢を見つづける。(小島美子 国立歴史民俗博物館名誉教授、福島市出身)