110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

要介護の親が子に"捨てられた"と思う瞬間

 今日は身につまされる記事が多い、本記事は自分ごとでコメントできそうだ。
 ディサービスやショートスティに行くこと、いわゆる「施設」を利用すると「捨てられた」すなわち疎外感が生まれるとある。
 その点からすれば、私は、このところ当たり前にディサービスやショートスティを利用している。
 はっきりと「ショートスティの期間は私の休息」と母親に伝えたこともある。
 また、本当に手におえなくなければ、施設に入所してもらおうと思っている。
 ただし、突然の入所ではお互いにやりきれないので、それほど深刻でないうちに、施設利用の経験値を上げておこうという、まぁ綺麗ごとの言い訳はある。
 母親はその辺のことをどう考えているかは聞いたことがない、疎外感が無いかと言えばあるだろうな。
 でも、私もいつ病気や事故に巻き込まれて対応できなくなるかもわからない(再来年で還暦)、その時のためにも、保険(お金というよりも環境が変わることの)経験)は必要だと思うし、有料での介護(ビジネス)は、なんとなく社会のある一面を把握するにはちょうど良さそうなことでもあると思う。
 コメントを見てみると、介護経験者(と思われる人)は結構、共感的で、未経験者は、批判的なところが面白い、それは、そのまま、年代層の差なのかもしれない。
 老人のわがままは、私も見ているのでわかるのだが、これは、さらりと受け流してしまえば良い事なのだが、それが出来なくなると、相当な地獄を経験することにもなる。
 ただし、それが病気(認知症)などからきていることもあるので、一概には割り切れない。
 (今は亡き)父親の時はそうだったなぁ。

要介護の親が子に"捨てられた"と思う瞬間
5/18(土) 11:15配信 プレジデントオンライン

仕事をしながら親を自宅で介護する場合、出張や残業などでは親を一時的に施設に預ける必要がある。現場で働くケアマネジャーを取材した相沢光一氏は「多くの親たちは『邪魔者扱いされた』と思って、施設に行くことを強く拒む。だが、子供の中には、施設に慣れさせて、そのまま入所させようという狙いもあるようだ」という――。

■介護する子と介護される親の折り合いが悪いワケ
 介護サービスを受けている人を、介護業界では「利用者さん」と呼びます。
 私がこの連載で介護の問題を定期的に書くようになってから、この「利用者さん」という言葉の使い方に頭を悩ませたことが何度もあります。
 「利用者さん」とは基本的に介護サービスを利用するご本人(要介護者)を指します。ただ、その方が認知症でケアマネジャーと意思の疎通がとれないことがある。また、認知症でなくても、その方がどんなサービスを受けるかは介護する家族の事情によっても異なります。ケアマネジャーはご本人の意向はもとより家族の意見もくみ取り、ケアプランを作ることになる。つまり、ケアマネジャーにとって要介護者本人も家族も「利用者さん」というわけです。
 この両者の意向が一致していれば何の問題もありません。たとえば、こんなケース。要介護になったお母さんを娘さんが介護することになったが、ふたりは仲良し親子。娘さんは良くなってほしい一心で最良の介護をしようと決意します。ケアマネジャーの説明を聞き、お母さんとも相談してふたりが納得したうえで利用するサービスを決める。サービスに対する意向は一致するわけです。
 しかし、実際の介護現場でこうした美しい関係が見られることはほぼありません。
 もともと親子の折り合いが悪く、子の側が仕方なく介護していることも多いですし、関係が悪くないにせよ子のほうが仕事などで介護に十分に力を注ぐことができず、その事情に合わせたサービスを親の意向に関係なく決めることもあります。親の希望と子の希望が相反する状況があるわけです。
 むしろ、こうしたケースのほうが圧倒的に多い。ケアマネジャーからみた「利用者さん」の意向は異なり、同一に見ることができないことがあるのです。そのため、書き手としては「利用者」とひとくくりにした表現がしにくいのです。

■要介護の本人の希望するサービスを家族が受け入れられない
 そもそもケアマネジャーは「利用者さん」のうち、サービスを利用する本人と家族のどちらの意向を優先するのでしょうか。10年以上のキャリアを持つケアマネジャーIさんに聞いたところ、
 「原則としては、ご本人の希望や意向を優先します。介護保険制度の目的は、要介護になった方の自立支援。そのために必要なサービスを組み込んだケアプランを作り、ご本人の状態を少しでもよくすることが、われわれケアマネジャーの務めですから」
 介護をする家族も、その介護保険制度の目的を了解しているという前提で、本人の状態や意向に沿ったケアプランを作るといいます。
 「ただ、実際に介護が始まると、そのとおりに事が運ばなくなってきます。介護をするご家族にも都合があり、それを無視する

わけにはいきません。ご本人の希望するサービスをご家族が受け入れられないケースが出てくるのです」

■なぜ、親はデイサービスやショートステイを嫌がるのか
 つまり介護の現場では「本人の都合」と「家族の都合」があり、しかもそれが異なることが多い。ケアマネジャーとしては両者の意向を聞いたうえで、その折り合いをつけることに腐心するのだそうです。
 Iさんによれば、介護サービスのなかでも「本人都合」と「家族都合」が一致しやすいジャンルと一致しにくいジャンルがあるといいます。
 「一致しやすいのはまず福祉用具、レンタルの介護用ベッドや車いすなどです。ケアマネとしてはご本人の要介護度や体の状態を考えて用具を選んだうえ、料金も含めて相談しますから、ここでもめることはほとんどありません。また、ホームヘルパー訪問看護師が家に来てケアをする訪問系のサービスも一致しやすい。なかには自宅に他人が入るのは嫌だという方もいますが、来てもらわなければケアできない現実があり、最終的には一致します」

■プライドが傷つけられ、“見捨てられ感”を抱く
 一方、両者の意向が一致しにくいのがデイサービス、ショートステイといった通所系のサービスだそうです。
 「通所系のサービスは、ほぼ家族の都合によるものだからです。家族に仕事があり、日中はケアできないため利用するのがデイサービス、出張などで留守にするため、あるいは家族が仕事と介護で疲弊しているといった事情から、数日施設で過ごしてもらうのがショートステイです。ご本人は住み慣れた自宅で過ごしたいし、ここでケアしてもらいたいというのが本音。それができず施設に預けられるのは家族の都合であり、そのことでプライドが傷つけられるし、“見捨てられ感”を抱くこともある」
 「また、介護施設自体に抵抗感がある方も少なくありません。在宅介護が始まった人には、自分はまだ元気という意識がある。にもかかわらず、半ば強制的に施設に連れて行かれ他の要介護老人と一緒くたに扱われるのは屈辱なのです。そんなこんなでご家族と相談のうえ通所サービスの話を切り出すと、多くの方が難色を示しますし、拒絶する方もおられます」
 通所のサービスは「家族都合」であり「本人都合」ではないというわけです。
 「ご本人の性格や考え方にもよりますが、デイサービスまでは抵抗感を示しつつも受け入れる方は多いんです。介護する息子や娘にも仕事があるのだから仕方がない、と。ところが、ショートステイはそうはいきません。大変大きなハードルとなります。家族が介護から解放されるために自分を施設に預けるのだ、という気持ちになるんですね」

■「自分は迷惑者、邪魔者」肉親から、お荷物とみなされる
 「家族の方も、やむにやまれぬ事情で通所サービスを考える方もいますが、なかにはデイサービス、ショートステイと慣らしていって施設入所まで持って行こうと考える人もいる。ご本人もそんな家族の意図を感じ取って親子関係がこじれることもあります」
 自分は迷惑者、邪魔者。肉親から、お荷物とみなされ、視界から消えてほしいと肉親から思われている……。要介護者はそうした孤独感を抱いてしまうのかもしれません。
 ひとことで「利用者さん」といっても、本人と家族ではこれほどまでに意向が異なり、結局、その間を必死に調整し、関係が悪くならないようにしているのがケアマネジャーというわけです。
 こんな話を聞くと介護の大変さを改めて感じます。介護の物理的な作業の大変さに加え、こうした「神経戦」が続けば、それも大きな負担になるでしょう。
 とはいえ、いずれ自分の親に介護が必要な時期はきます。
 要介護になったら、あるいは自分が要介護になる時が来たら、親と子、そしてケアマネジャーとの間に、こうした心の読み合いやそれによって生じるさまざまな葛藤があることを覚えておき、事前に心の準備をするといいのかもしれません。
ライター 相沢 光一 写真、イラスト=iStock.com