110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

カルロス・ゴーンに見る法治国家

 本来、法律がよりどころの法治国家なるものは、基本的に検察側が被告(容疑者)の罪状を証明するのが筋だ。
 だから、カルロス・ゴーン氏のように、自分は無罪であると信じるならば、徹底的に否定する「権利」が保証されている。
 当然、我が国の法律もそうなっている(建前的にはね)。
 だから、ゴーン氏を見ていて「正しい法治国家での対応の仕方だなぁ」と、感心しながら先行きを見守っっている。
 
 私は、検察側は、いたずらに拘留期間を延長して、いわゆる、罪状の真否ではなく、精神的に追い込んで(ある意味拷問だね)、自白に近いかたちでこの一連の事件を決着つけようとしているように見えるのだ(海外のメディアでそういう見地からの報道があるようだが)。
 それって、法治国家とは矛盾しているのではないのかな?
 そういうことに、疑問を投げかけるTV放送もあったのだろうが、今のところ(被告側弁護士の談話以外)お目にかかっていないことが不思議なんだよね。

 佐藤優がいわゆる国策捜査で有罪になったことがあるけれども、その後、佐藤氏は、日本人として生きていかなければいけない以上、日本の権力の圧力に屈するしかなかったようなことをどこかに書いていたけれども、やはり、腑に落ちないところはあるんだよね。

 多分、最終的には、ゴーン氏は有罪でめでたしめでたし、と日本の関係者やマスコミは報じて、その後は事件自体を忘れようとするんだろうけれども、世界は、今件も踏まえて、日本の法制度の在り方に疑問を持つだろうね。

 法律で決めれば何でもできる、権力を行使してなんでもできる…のは、主権の及ぶ国内だけであり、私を含めた日本人や日本国籍を持つものがその「脅し」にひれ伏すのだろうね(沖縄の問題なんかね、政治的な圧力にしか見えないけれどね)。

 しかし、その(国の)外に出てしまえばどうか?
 最近、韓国との紛争で「国際法」という言葉をよく使うようだが、国内がこのような有様で、本当に法律的な対応ができるのか、どうかね?

 一見筋は通っているように見せているようだが、どこかにご都合主義的な解釈がなされているようで、心配だな。
 
 戦後うん十年の平和ボケで国内認知症になっていなければ良いのだが…