110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

今の日本人の限界

 人間の限界状況の一つは生死であることについては問題がなかろうと思う。
 しかし、現実問題としてそれを体得している人はどのくらいいるのかと言うと(今は)少ないのではなかろうか?

 そういうことを体験しているということは、ある意味不幸でもあり、20世紀の私(たち)の先達(体験者)は(あの)戦争経験者だったりしたわけだ。

 昨今、生死に関わる事件が多く報道されるようになった、(高齢者だと目を惹く)自動車事故や虐待による殺人、自殺、幼児虐待、警察官を襲って拳銃を保持する…などなど、そうすると、最近は識者による委員会みたいなもので対応を検討するケースが散見されるが、その時の識者とは何者だろうか?
 確かに、現在でも生死に関わる人は存在する、端的には、医者、看護師、そして重度の病気を抱えている人、間接的には納棺夫などもそうだろう、しかし、トラウマになるほど身についた人は圧倒的に少ないはずだ。

 私が子供の頃は、年長者の家にはそういう経験者がいたとしてもおかしくなかった。

 しかし、今は、大学の教授だろうと老境の人間だろうと、理屈は知っていても、体験はしていない、見たことはあるが、そのことにどっぷりつかったことはない、そういう人たちが殆どだと思う。
 私もその一人だ。

 そうなると、どうしても理屈から対策を練らねばならなくなる、だから、そこにはある種の「緩さ」があるのではないかと思うのだ。
 (それほど閲覧されていないからあえて書けば)児童相談所の問題でも、悪い対応をして虐殺に追い込んでしまった「その人」を替えるのではなく重用して経験値を上げていかないと本質的な解決には結び付かないのではないのか?ということだ。

 相手が普通の状況から人間の限界領域に入った時にその事に気づいて対応できるということは、この平和な国の中で会得することが難しいように思うのだ。
 そして、それを知っていることは必ずしも幸福なことではないのだからなおさらだ。