我と汝・対話(マルティン・ブーバー著)
人間がその中心的な存在であるのか、それとも、いわゆる「神」は存在するのか?
そういう立場で現在の、人間のあり方を問うている著作。
ありきたりな言い方をすれば「合理主義」の功罪を問うている様に思える。
さて、これに対しての「答え」は、残念ながら「考慮中」としか言いようがない。
ニーチェ、フッサール、ハイデッガーという、20世紀初頭のドイツの哲学者を逡巡している現状としては「答え」は自明のようにも思える。
しかし、それを抑えるものがある。
それは、「合理主義の恩恵を(多少であろうとも)得ている私が合理主義を否定できるのか?」というもの。
これはつまらない話に過ぎないのかもしれないが、「まだ、大丈夫」と先に延ばしている内に、手遅れになってしまった病気。
そういう立場で現在の、人間のあり方を問うている著作。
ありきたりな言い方をすれば「合理主義」の功罪を問うている様に思える。
さて、これに対しての「答え」は、残念ながら「考慮中」としか言いようがない。
ニーチェ、フッサール、ハイデッガーという、20世紀初頭のドイツの哲学者を逡巡している現状としては「答え」は自明のようにも思える。
しかし、それを抑えるものがある。
それは、「合理主義の恩恵を(多少であろうとも)得ている私が合理主義を否定できるのか?」というもの。
これはつまらない話に過ぎないのかもしれないが、「まだ、大丈夫」と先に延ばしている内に、手遅れになってしまった病気。