110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

死を与える(ジャック・デリダ著)

 久しぶりにデリダを読む、ちくま学芸文庫版。
 本書は、一度、途中まで読んで挫折したのだが、今回はとりあえず読み終えることができた。

 本の解釈は人により様々にできるだろう、当然、私の様な浅学なものは、浅く読み解く事になる。
 本書は、デリダの宗教論ということだが、私としては、面白いことに、山本七平氏の著作を考えながら、
読んでいた。
 デリダの、一神教ユダヤ教キリスト教ユダヤ教)に関する読み解きと、山本氏の日本での思想の変遷(第二次世界大戦など)の中で、抑圧されたもの、隠されたもの、ということが、何か共通性を帯びているようにも思えたのだ。
 本書で著された「責任」というものを辿っていくことで、「責任」を果たすことが「無責任」となる事象について、その「言葉」というものの隙間について考えさせられることが多い。
 あたかも、真理のような規則が、ある隙間により、無力化してしまう過程。
 軽々に「責任」などとは言えない。
 そして、この対立(融合かな?)する「責任」「無責任」が、様々な事件を引き起こしてきたのだ。

 本書の中で、「ひとは、許すことのできないものに対してしか、けっして許しを求めることができない。許すことのできるものを許す必要はまったくないのであって、そこに、私たちが考察をめぐらす不-可能な許しのアポリアがある。・・・」というところがあった。
 これを読んで、とても私ごときは「陪審員」に指名されても勤まりそうにないと感じた。