110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

不死のワンダーランド(西谷修著)

 本書は1990年に青土社から刊行されたものを、講談社学術文庫版化するにあたり、全体のボリュームを削ったものを読んだ(講談社学術文庫版は1996年)。

 氏の著作では「戦争論」などにも興味があるのだが、残念ながらまだ読んでいない。
 題名からして、何か非常に軽薄なイメージを持ってしまったのだが、少し、内容に立ち読みすると、ハイデッガーの思想を(批判的な?)導入部として、実存そして死について、レヴィナスバタイユブランショなどの思想を取り入れながら、現代の思想的な「死生観」を考察していく。
 そして、その上で到達した一つの回答が、この「不死」というキーワードになる。
 養老猛司さんの「最近は自宅で死を迎える人が減った」というテーゼから、死(それは生が裏に張り付いているのですが)を考え始めた。
 そして、本書を読むと、その「私の死」が、いつしか「(私としては)死ねなく」なってしまったことを示唆している。
 これは、本書では多面的に説明がすすむが、その一つの理由は、現在の(人間)社会は、個別に実存していたと思いこんでいた「人」(個物)が、普遍としての「ヒト」になってしまったという理由のように思う。
 それは、近代というモノが、まだ根強く残っている事を示しているのかもしれない。

 私が私の死を迎えられないという現実は、とても寂しいものであるが、実は、その「徴」は、探そうと思えば意外と簡単に見つかるのではないかと思ってしまった。
 見ようとする人には見えるが、見ようとしない人には見えないもの。