110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

言いわけ

こんな記事を見つけた。

万引現場にもモンスターペアレント 「捕まえる前に諭せ」「届く場所に置くな」
9月27日7時56分配信 産経新聞
 「なぜ捕まえた」「通報されて子供がショックを受けた」。少年による万引が全国的に増加する中、子供の万引を通報された保護者が、逆に小売店に理不尽なクレームをつけるケースが相次いでいる。少年の多くが「ゲーム感覚」で万引に手を染める一方、“モンスターペアレント”の出現に、捜査関係者からは「親も『たかが万引』と甘く見る傾向にあり、他の犯罪を助長しかねない」と懸念する声が上がっている。(滝口亜希)

 ■子供しからず

 「なんで捕まえたんですか。万引に気づいたなら、捕まえる前に諭すべきでしょう」
 東京都内の大手書店で店長を務める男性は以前、本をかばんに詰め込んで店を出ようとした男子中学生を呼び止め、保護者に連絡したところ、逆にこう詰め寄られた。

 「万引した自分の子供はしかりもせず、『商品を子供が取れるような場所に置いている店の方が悪い』と言ってきた親もいる。万引を犯罪と思っていない節がある」と男性はため息をつく。

 NPO法人「全国万引犯罪防止機構」(新宿区)には、複数の小売店から悲鳴が寄せられている。

 「万引をした高校生を警察に通報したら、後日、高校生の祖父から『孫が精神的にショックを受けた』と抗議された」

 「トレーディングカードを万引した小学生の親に、『いくらですか? 代金を払えばいいんでしょう』と言われた」

 同機構の福井昂(こう)事務局長は、「こういった親は『万引はちょっとした出来心でやってしまうもの』という程度の認識しかないから、子供にもきちんと指導ができない。実際には、万引を入り口に、ほかの犯罪に走るケースも多い」と警告する。

 これを読んでいて、山本夏彦のあるコメントを思い出した(言いわけ「変痴気論(中公文庫)」)

 同じくわが子を死なせても、今の母親なら逆襲すると、建築家の林昌二さんが書いているのを簡単に紹介したことがありますが、詳しく書くと、団地アパートの手すりに接して、林檎箱や段ボールの箱が置いてあるのは良く見る図です。よちよち歩きの子供はそれによじのぼって、手すりにから乗り出して下界をながめ、重心を失って、墜落して死ぬことがあります。
 戦前の母親なら、なぜこんなところに箱を置いたかと、我と我が身を責め、亭主に、両親に申し訳ない、世間さまに顔向けできない、死んでお詫びするよりないと、半狂乱になって泣いたでしょうに、今は食ってかかるのです。
 しばらく涙にくれるところまでは同じですが、決然立って目をすえ、天の一角をにらんだかと思うと、くるくる頭が回転して、弁舌滔々、以下のようなことを口走ります。
 もっともこれは、自分で考えた理屈ではありません。世間が敷いた紋切型のレールがあって、彼女はそれに乗って、まくしたてるのです。
 そもそも2DKはせますぎる。林檎箱や段ボールを、どこへ置けというのか。手すりに接して置くより、ほかに置き場はないではないか。それにしても手すりは低すぎる。もう三寸、もう五寸高かったら、わが子は落ちずにすんだろうに。
 つまり悪いのは2DKの設計で、設計者は公団に属して、公団は政府の出店だから、してみれば悪いのは政府で、そこでみんな政治が悪いんだと、首尾よく落ちつくところへ落ちついて、自分はなんにも悪くなくなるのです。
 ・・・・・
 一方、昔は顔向けできないと恐れられたあの「世間」は、この夫婦をあざ笑うと思いきや、そうだそうだ、奥さんの言う通りだ、 ・・・・と二人をけしかけます。
 昨今これを世論と言います。泣く子と世論には勝てませんし、たかが手すりのことですから、それは次第に高くなりますが、安全なんかになりはしません。
 非は常に他人にあって、みじんも自分にないとすると、経験は経験になりません。他人の経験はおろか、せっかくの自分の経験も、経験になりませんから、もとの椿事と新しい椿事はこもごもいたります。いたれば再び三たび、みんな世の中が悪いんだとはねつければ、椿事もさるもの、さらに大挙しておしよせます。
 こうして公私を問わず、自分は詫びもしなければ、言いわけもしなくなりました。ただ、他人に対してだけいさぎよくあれ、言いわけするなと言いつづけるようになりました。・・・・・

 引用したのは、昭和46年(1971年)刊行されたものです。
 一連の山本夏彦氏の著作を読んでから、例えば「ゆとり教育」が失敗したことなども、その当事者の問題と考えなくなりました。
 最初の記事に登場する「モンスターペアレント」は、突然変異として発生する事はないと思うのです。 山本氏は、歴史は些事にあると記しますが、この引用のような事が、(喩えて言えば)利息が安くても、綿々と複利計算で今日(2009年)まで増え続ければ、このような無責任な事は起こりえる、少なくとも可能性はゼロではないと思うのです。
 そして、それらが顕在化してきたということは、古のローマ帝国が、当初排斥した、キリスト教に、最後には染まってしまったという事件を、私に思い起こさせるのです。
 ・・・でも、元には戻れないですけれどね。
 (これが、最近、山本夏彦氏にはまっている理由です)