110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

立川談志の死

異端であり続けるのことは天才である証拠であろう。
本音を言うと、この人の落語を好んで見聞しなかったのだが、何故だろうか、生きていて欲しかった人だ。
いや、この人は死なないのではないかとすら思っていた。

<訃報>落語家の立川談志さん死去、75歳
毎日新聞 11月23日(水)15時53分配信

 カリスマ的人気を誇った落語家で元参院議員の立川談志(たてかわ・だんし<本名・松岡克由=まつおか・かつよし>)さんが21日午後2時24分、喉頭がんのため東京都内の病院で死去した。75歳。葬儀は23日、密葬で行われた。後日お別れの会を開く予定。喪主は妻則子(のりこ)さん。

【談志さんの軌跡】
 東京都出身。1952年、16歳で五代目柳家小さんに入門、小よしを名乗った。63年、五代目談志を襲名し真打ちに昇進した。
 「伝統を現代に」を掲げ、江戸情緒を大切にしながらも現代的な感性で古典落語を捉え直し、新たな息吹を与え、戦後落語界に風雲児となった。「落語とは人間の業の肯定」と唱え、卓越した心理描写で語る「芝浜」や「紺屋高尾」などの人情ばなしを得意ネタとした。
 落語への愛着は強く、65年、落語人気を盛り上げようと、「笑点」(日本テレビ系)の前身番組を企画。69年まで「笑点」初代司会者を務めた。
 また高座でもテレビなどでも、毒舌で政治や社会を鋭く風刺。言動はしばしば物議を醸した。
 タレント議員の活躍に触発され、71年、参院選全国区に立候補して当選。75年12月、三木内閣の沖縄開発庁政務次官に就任したが、飲酒トラブルなどで翌年1月に辞任した。
 83年には、真打ち制度をめぐって落語協会と対立し、脱会。落語立川流を創設し、家元を名乗った。志の輔さん、談春さん、志らくさんら人気と実力を兼ね備えた弟子を育てた。
 97年に早期の食道がんを公表。09年8月、糖尿病などの治療のため休養した。10年4月に高座復帰したが、ほとんど声が出ない状態が続いた。今年3月に入ってストレス性胃潰瘍で一時入院。その後も療養を続けていた。10月27日に容体が急変し、約3週間、意識が戻らないまま亡くなった。