つゆのひぬま(山本周五郎著)
本書は新潮文庫版で読む。
この著者は、「周五郎流(高橋敏夫:NHK出版)を読んで興味が増した、それまでには「虚空遍歴」を読んだ程度であった。
山本周五郎の作品には屈折した心境の人がよくでてくるように思う、不幸を求めているのではないかといぶかってしまう様な人だ、そしてそういう事を作者もよく知っているのだろうと思う。
現実はそれほどドラマチックなものではなく、ここに取り上げられた様な人々も誰に知られること無く消えていくことがほとんどなのだろう。
しかし、それでも本作の人たちは(フィクションではあるが)救われて終わる、それも大ハッピーエンドではなく、ほんのりと幸せになる、思わず涙ぐむというように本能的に感動させるのではなく、さらりと感動させる。
冷静に考えると周五郎の方が良いなと思う、大きな感動を引き起こすようなものにはどこか形而上的、宗教的な現実からの逸脱をしてしまっている場合がある、それはそれでくどいようだが人間の本脳に訴えて感動を引き起こすのだろう、しかし、いつまでも夢を見ているわけにはいかないことを考えると、本著者の控えめなところに何か無言の意志を感じるのだが・・・・?
そんなわけで、本著者の膨大な著作をすこしづつ巡ることになりそうだ。
ちなみに「つゆのひぬま」は朝顔の花が露を帯びているときだけ咲いているということ、作中で比喩として使われる「露の干ぬ間」とは素敵な題名だ。
この著者は、「周五郎流(高橋敏夫:NHK出版)を読んで興味が増した、それまでには「虚空遍歴」を読んだ程度であった。
山本周五郎の作品には屈折した心境の人がよくでてくるように思う、不幸を求めているのではないかといぶかってしまう様な人だ、そしてそういう事を作者もよく知っているのだろうと思う。
現実はそれほどドラマチックなものではなく、ここに取り上げられた様な人々も誰に知られること無く消えていくことがほとんどなのだろう。
しかし、それでも本作の人たちは(フィクションではあるが)救われて終わる、それも大ハッピーエンドではなく、ほんのりと幸せになる、思わず涙ぐむというように本能的に感動させるのではなく、さらりと感動させる。
冷静に考えると周五郎の方が良いなと思う、大きな感動を引き起こすようなものにはどこか形而上的、宗教的な現実からの逸脱をしてしまっている場合がある、それはそれでくどいようだが人間の本脳に訴えて感動を引き起こすのだろう、しかし、いつまでも夢を見ているわけにはいかないことを考えると、本著者の控えめなところに何か無言の意志を感じるのだが・・・・?
そんなわけで、本著者の膨大な著作をすこしづつ巡ることになりそうだ。
ちなみに「つゆのひぬま」は朝顔の花が露を帯びているときだけ咲いているということ、作中で比喩として使われる「露の干ぬ間」とは素敵な題名だ。