110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

日本国民が脱構築状態

 安保法案の審議が今日も行われている。
 TVで見ていると政府側と野党側が同じ根拠(憲法や砂川判決の解釈)が全く異なる解釈となる。
 見ていて頭が痛くなったのだが、ふと思い出した。
 Wikiの「脱構築」にこのような記述がある。
デリダによる脱構築
 あるテキストがある事柄を伝える内容として読めるとき、それとは矛盾を起こす別のパラドキシカルな内容がテキスト中に含まれているとする。

 実は、国会で行われているのは、この脱構築の実例なのだ。
 しかし、憲法の条文について脱構築されたら、どうなるのだろう?
 まぁ、言葉とはそういうものだと国民にレクチャーしているのならば高尚な趣向ではある。
 (が、お金と時間を使ってやることではない)
 デリダとはこの脱構築思想に関する中心的な哲学者のこと、残念ながら既に亡くなってしまった。

 追記:脱構築はあるテクストの意味を相対化することが目的ではなく新しい解釈を追求し続けることでもある。
 単純に否定的なものではないのだ。
 しかし、国会でやるべきことではなさそう。