永六輔さんご冥福をお祈り致します
永六輔さん死去…放送作家・作詞など多方面活躍
読売新聞 7月11日(月)13時37分配信
草創期のテレビ界で放送作家として活躍し、「上を向いて歩こう」をはじめ多数のヒット曲を作詞するなど多方面で才能を発揮した永六輔(えい・ろくすけ、本名・永孝雄=えい・たかお)さんが死去したことが11日分かった。
83歳だった。
東京・浅草出身。10代の頃のNHKラジオへの投稿がきっかけで放送作家の道へ進む。ラジオや草創期のテレビ番組に携わり、1961年から66年まで放送されたNHK「夢であいましょう」などの人気番組の脚本を書くかたわら、自らも番組に出演し、独特の早口なしゃべりで人気者になった。
作詞家としては、中村八大さんが作曲し、水原弘さんが歌った「黒い花びら」が59年に第1回日本レコード大賞を受賞。以後も中村さんとのコンビで「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」などの国民的ヒット曲を送り出した。
読売新聞 7月11日(月)13時37分配信
草創期のテレビ界で放送作家として活躍し、「上を向いて歩こう」をはじめ多数のヒット曲を作詞するなど多方面で才能を発揮した永六輔(えい・ろくすけ、本名・永孝雄=えい・たかお)さんが死去したことが11日分かった。
83歳だった。
東京・浅草出身。10代の頃のNHKラジオへの投稿がきっかけで放送作家の道へ進む。ラジオや草創期のテレビ番組に携わり、1961年から66年まで放送されたNHK「夢であいましょう」などの人気番組の脚本を書くかたわら、自らも番組に出演し、独特の早口なしゃべりで人気者になった。
作詞家としては、中村八大さんが作曲し、水原弘さんが歌った「黒い花びら」が59年に第1回日本レコード大賞を受賞。以後も中村さんとのコンビで「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「遠くへ行きたい」などの国民的ヒット曲を送り出した。
「芸人 その世界」という本が岩波新書から出ている。
巻末とかに参考文献があって「俺はこれだけ調べたんだぞっ」てな具合に、権威づけで載せてるんではないかと穿ってしまう本も結構ある。
永さんのこの本にも参考文献が巻末に掲載されている。
これがすさまじい量で「これでもか」と言うほどの著書が並べてある。
しかも、さらりと載っている。
これを目で追いつつ、この人は、表側は粋に生きているように見えていて、相当努力する人なんだろうなとその時に思ったのだ。
(「いえいえ趣味なんですよ」なんて言いそうだけれども)
そういう才人がまた一人無くなった。
これは人生(生死)であるにしても些か感傷に浸っていても良かろう。
巻末とかに参考文献があって「俺はこれだけ調べたんだぞっ」てな具合に、権威づけで載せてるんではないかと穿ってしまう本も結構ある。
永さんのこの本にも参考文献が巻末に掲載されている。
これがすさまじい量で「これでもか」と言うほどの著書が並べてある。
しかも、さらりと載っている。
これを目で追いつつ、この人は、表側は粋に生きているように見えていて、相当努力する人なんだろうなとその時に思ったのだ。
(「いえいえ趣味なんですよ」なんて言いそうだけれども)
そういう才人がまた一人無くなった。
これは人生(生死)であるにしても些か感傷に浸っていても良かろう。