110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

難しいよね

 母親が施設から帰ってきてからまだ実質3日ほどなのだが、いろいろと考えることがあった。
 以前は、なるべく手を貸さずに生活させれば良いのかと考えていた、最近聞かない言葉だが「スパルタ式」だ。
 でも、今回の帰宅の機会に、ケアマネさんやらなにやらいろいろな人の話を聞くと、本人を苦しませてもしょうがないし長い目で見るとむしろマイナスになるかもしれないかなと思いはじめたのだ。
 たとえば、今回の帰宅から、ポータブルトイレを使いはじめた。
 なにかイメージ的には介護度が上がったように思ったし、事実、介護認定も更新をかけているのだが、これ本人にはいたって評判が良くて「夜は近くにあるので有難い」なんて事を言っている。
 確かに、足腰を衰えさせないために、立ったり・座ったり・歩いたりすることを日常生活に組み込むのは良い方法だと思うが、それが「途中で漏らすのではないか」みたいな精神的ストレスになっては逆効果だ。
 もとより、母親の場合、右足が動かないというハンデを背負っているので、歩くときの負荷も自分よりはるかない大きいだろう。
 昭和ひとケタは我慢強いなんていうイメージを勝手に考えていたが、そういう先入観とは決別しよう。
 ちなみに、母親よりもさらにひどい障害を膝に持っている人が、歩行器を工夫することで歩けるようになったという話はすごく励みになった。
 まずは、家の環境を整備して、もとより、転倒の事故を減らしつつ、右足の負担を少なくして歩けるようになれば良いかなと思う。
 まぁ、来年早々にかけての課題ではある。

※ここまで書いて、一つの矛盾もあることに気づいた、母親の身体に負担を掛けないのならば、施設にずっと居させればよいのではないのか?
 確かに、そうかもしれない。
 ただ、施設に入っているときに感じたのは「このまま馴染むと施設でしか生活できなくなる」という危機感だった。
 何が違うのかは漠然としかイメージできないのだが、施設は、ゆるやかに見えても24時間管理されている、かたや、自宅も同様に介護者がいて基本は管理されているのだが、それでも少ないながらも自分の時間があるように思うのだ。
 その微妙な差かな?