戦後期日本の精神史(鶴見俊輔著)
本書のオリジナルは1982年岩波書店刊行のもの、私は岩波現代文庫版で読む。
十五年戦争という言葉は本著者によって使い始められたものだそうだ。
何気なく使われている言葉が思いのほかに様々な要因の上に誕生したことを知ることになる。
私達昭和生まれは、たとえ戦後生まれだと言ってもなんらかの形であの戦争の影響を受けている様に思う。
さらに悪いことに、影響を受けながらも、戦争を体験していないということで、実感として把握することが難しい。
それなら、いっそ忘れてしまえみたいな極論に走りたいのだが、逃げようとしても何かついて回ってくるようだ。
鶴見俊輔という人は、小熊英二の<民主>と<愛国>を読んだことで興味を持った、まぁ随分遠回りをしてこの著者にたどり着いたわけだ。
そこで、あの戦争はやはりなんだったのかという観点から、まず本書を読んでみた。
まぁ、一読で何か分かったということは言えない、ただし、本書は物凄く客観的な視点で書かれているように思う。
あるプロジェクトが失敗した時の責任論というのは、現在も良く話題になることだが、あの戦争の責任については未だに取りきれていないというイメージがある。
しかも、関係者が殆ど鬼籍に入ってしまっている現在では直接的な検証も不可能であろう。
できないことを、とやかく言うのもある意味時間の無駄といえるのかもしれない。
しかしながら、死ぬまでには結論が出ずとも、自分なりに取り組んでみたい問題点ではある。
十五年戦争という言葉は本著者によって使い始められたものだそうだ。
何気なく使われている言葉が思いのほかに様々な要因の上に誕生したことを知ることになる。
私達昭和生まれは、たとえ戦後生まれだと言ってもなんらかの形であの戦争の影響を受けている様に思う。
さらに悪いことに、影響を受けながらも、戦争を体験していないということで、実感として把握することが難しい。
それなら、いっそ忘れてしまえみたいな極論に走りたいのだが、逃げようとしても何かついて回ってくるようだ。
鶴見俊輔という人は、小熊英二の<民主>と<愛国>を読んだことで興味を持った、まぁ随分遠回りをしてこの著者にたどり着いたわけだ。
そこで、あの戦争はやはりなんだったのかという観点から、まず本書を読んでみた。
まぁ、一読で何か分かったということは言えない、ただし、本書は物凄く客観的な視点で書かれているように思う。
あるプロジェクトが失敗した時の責任論というのは、現在も良く話題になることだが、あの戦争の責任については未だに取りきれていないというイメージがある。
しかも、関係者が殆ど鬼籍に入ってしまっている現在では直接的な検証も不可能であろう。
できないことを、とやかく言うのもある意味時間の無駄といえるのかもしれない。
しかしながら、死ぬまでには結論が出ずとも、自分なりに取り組んでみたい問題点ではある。