110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

人間、この非人間的なもの(なだいなだ著)

 本書は1972年筑摩書房より刊行されたもの、私は1985年初版のちくま文庫版で読む。

 なだいなだのエッセイ集ということで軽い気持ちで読んだのだが、各エッセイが書かれた時よりほぼ半世紀が経った今、私が漠然と不安に思っていたことが、この作品の中に既に描かれていた。

 文庫版で解説を書いた中山千夏も「このエッセイが少しも古びていない、いやそれどころか、きわめて現実的…」と記し、さらに30年経っても、やはり現実的なのだ。
 まったく、日本とか、日本人て奴は…
 多分、戦後の日本は経済が隆盛したために、痘痕も靨(あばたもえくぼ)で目を塞げていたのだろう、でも、あのバブル崩壊後の低迷から今度はその実態から目を背けたいという要望に変化したのではないか?
 さらに悪いことに、通信技術の発達などから、この1970年当時にあった諸症状を、スピーディに実現できるようになったのだろう。
 まぁ、知らなければ幸せなことも、どこからともなく情報が入ってくると言う、便利だけれども不幸な時代になったのかもしれないね。
 
 本書は10回の連載エッセイが元なのだが、それぞれの表題を記すと、
 ・それでも、私は人間
 ・残酷と想像力
 ・移りゆく視点からの風景
 ・わかりいそぐこと
 ・ケシカラニズム考
 ・不幸を待つ仁術者
 ・鳩に平和が作れましょうか
 ・きれい好きな殺人者の手
 ・小さい大人と大きい子供
 ・日の丸を掲げる人と日の丸に掲げられる人

 一見非人間的な事(例えば殺人)が良く考えてみれば極めて人間的な行為であったりする、そのことについて善悪のレッテルを張りつけて思考停止し、差別する(あいつは悪人だから私たちとは違う)。
 著者は、そういう考えに疑問を呈する、そして、もう一度、それらのことを考え直してみると、犯罪者も私も、人間であることに気づく、そして、改めて、その人間であることを見つめることで、見えてくるものがある。

 昭和の戦後、そして、平成は、日本に戦争が無い平和な時代だったと言えよう、しかし、その中で、本書に指摘されたことどもが、当たり前の顔をして跋扈する世の中が(今)形成されてしまった。
 この病状はかなりの重傷だと思う。

 「ケシカラニズム」なんて言葉は、私は本書を読むまで知らなかったが、これほど、現在の世論にあてはまる「造語」にはお目にかかったことが無かった。
 また、「わかりいそぐこと」などは、例えば、あの厚労省の統計問題の異常な対応の速さ(ただし、お題目が並んだだけで本質的な解決にはどう見ても程遠い)に対する、的確な批判となりそうだ。
 世の中が変われなかったのか、本書が予言書だったのか、その辺のところは良くわからない