110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

池袋事故での救い

 池袋の事故はその事故の規模の大きさや高齢者が運転していたことなどから多彩な意見が出ている。
 本ブログはもとより天邪鬼な観点からこういう事象を見つめているのでタイトルのような考察をしたい。

 様々な本事件に対するコメントを全て見たわけではないが、犯人に対する非難のものが殆どだ。
 まぁ、死傷事故を起こしたわけだからその点についての異論はない。

 ただし、この犯人は、若い人にとっては非難の対象(本来は漠然としているのだが)の「お金持ち」かもしれない、記事に記載された経歴を見るとその可能性は高い。
 あとは、実際の後処理だが、刑事での実刑を受けるのは間違いがなかろう、執行猶予はつく可能性があると思う、また、免許は取り上げられるだろうから再び運転をする危険性はほぼ無い。
 あとは民事の補償になるが、自動車保険で充当される部分と過失等により支払われない部分があるので、その自己負担分を支払えるかということになる。
 「人命はお金で測れない」などという人もいるのだが、この世の中の一般的な常識がお金で解決することである以上この考え方は避けて通れない。

 そういう面で見ると、この加害者が「自分の資産を使い切ってでも補償する」という姿勢を見せるならば、被害者にとっては大きな救いとなるだろう。
 私は、加害者のことは全く分からないのでこれはあくまで予想だ、願わく、ばお金持ちでさらに善良な(責任感の強い)人であって欲しい。

 私たちは、交通事故の異常性を糾弾するし現にこの事故もその例に漏れない、しかし、先の、あおり運転で死亡者が出た事故で刑事罰を受けるのはある程度当然だとしても、彼が、その後の補償ができるかと言えば、私は怪しいと思っている。
 これは、ヘイトと受け止められようと構わない、若年層の死亡事故は、やはり、その後の補償ができるのか甚だ不安だ。

 「金が無いから仕方ないだろう」これは世代間でよく言われることだが、「高齢者は認知機能が低下しているのだから運転を禁止しろ」も「事故を起こした後に責任を取れない(特に若年層)なら車に乗るな」も私には同程度の正当性があると思う。

 そして、よく考えると、かなり昔にあった公害論争「大気汚染の原因である車を売らないような数量規制する」や「交通死亡事故があるから、原因である自動車の数を規制する」という根本論は忘れてしまっている。
 (何故かって?経済を伸長させるためだよね)

 もし、加害者がきちんと補償したら賞賛記事がでても良いのではないか?
 だって、あの原発事故、薬害エイズ水俣病(まだ終わってないよ)…政府でさえきちんとはできないのだからね?