110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

元農水事務次官の殺人事件

 理解しても良いがそれをやってはいけない事だという認識が必要だと思う。

 いくつかの指摘したいところがあるのだが、一番大きな問題点は「自分が納得できる理由があれば殺人も肯定できる」ということだ。
 さらに敷衍すれば、この息子は異常性はあるが、未だ事件は起こしていない。
 可能性は高いが未だ事件は起こしていない。
 とすれば「将来に大事件になる可能性があれば違法であっても相手を拘束しても良い」、という考え方にもつながっていく。

 だから、この犯人は、単純に「生活を脅かされたから殺した」と言えば、良かったのではないかと思う。
 殺人が英雄譚になってはいけない。

 これらの事件のコメントを見ると「気持ちが分かる」「親としては仕方がない」みたいな意見もあるが、この考え方の根底には、上記の思想が隠れている。

 それでは、これはどうだろうか「老親が認知症になって暴力的になって社会的に迷惑を掛けそうなので殺した」

 「死」は、今の日本(平和が数十年続いた)ではある絶対的状況を出現させるので、既存の理論は通じにくいはずだ。

 追記
 そういえば、我が国には死刑制度がある、これが、こういう世論感覚の裏に張り付いている様な気もする。

 さらに追記
 男親ならば彼の行動について納得できるという意見も散見するしそれの賛同者も多い。
 でも、その中に、自分はきちんと子育てには取り組んでいないという、反省なのか、言い訳なのかわからないフレーズが挟み込まれている場合がある。
 そして、こういうコメントが基本的に父親という立場から発言されていることにも目を向けなければならないだろう。
 ちなみに、母親ならどう思うのだろうか?

 うっかり見落としてしまうのだが、日本社会についての一つの断面でもある。