ニーチェ(ジル・ドゥルーズ著)
前回がハイデッカーだから次は、ニーチェへと戻りつつ、ドゥルーズの著作という様に前進する。
ツァラツゥストラは、以前読んでみたが良くわからなかった。今度は本書でも解説つきで、部分的にニーチェの思想に触れるが、やはり難しい。
ただ、ハイデッカーから戻ると、そのルーツとしてニーチェがあり、その射程として、古代のギリシャ哲学に「何か転換点」があるという事では共通しているようだ。
そして、「超人」は単なる進化論でないという、指摘(訳者、湯浅氏の解説による)があるが、そうするとまた謎は深くなる。
ある種の「制圧」を廃して、新しく「生成」する世界(もともとの世界)になるという事は「無秩序状態」になることではないかと思ってしまう。
しかし、ギリシャ哲学を否定しているのならば、そういう「道徳」とか「善のイデア」それ自体が、「正しいもの」として、長い年月にわたり人類に刷り込まれているのであるなら、そういう足枷を意識からはずすことが必要なのかもしれない。
それには、崖から飛び降りるような恐怖感がある。
そのような、恐怖感は東洋人よりも西洋人のがより多くある(かな)?
ツァラツゥストラは、以前読んでみたが良くわからなかった。今度は本書でも解説つきで、部分的にニーチェの思想に触れるが、やはり難しい。
ただ、ハイデッカーから戻ると、そのルーツとしてニーチェがあり、その射程として、古代のギリシャ哲学に「何か転換点」があるという事では共通しているようだ。
そして、「超人」は単なる進化論でないという、指摘(訳者、湯浅氏の解説による)があるが、そうするとまた謎は深くなる。
ある種の「制圧」を廃して、新しく「生成」する世界(もともとの世界)になるという事は「無秩序状態」になることではないかと思ってしまう。
しかし、ギリシャ哲学を否定しているのならば、そういう「道徳」とか「善のイデア」それ自体が、「正しいもの」として、長い年月にわたり人類に刷り込まれているのであるなら、そういう足枷を意識からはずすことが必要なのかもしれない。
それには、崖から飛び降りるような恐怖感がある。
そのような、恐怖感は東洋人よりも西洋人のがより多くある(かな)?