110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

企業に「永遠に成長を強いる」絶望的なメカニズム 「複利的成長」を求め続ける資本の暴力的な力

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目の前に空気のようにあるものが意外と大変なモノだったりすることがある、資本主義もそういうモノであり、それに対して批判してきた過去の歴史もあるのだが、結局残ったのが現在の姿だ。

企業に「永遠に成長を強いる」絶望的なメカニズム 「複利的成長」を求め続ける資本の暴力的な力
5/18(木) 11:02配信 東洋経済オンライン
環境破壊、不平等、貧困……今、世界中で多くの人々が、資本主義が抱える問題に気づき始めている。
経済人類学者のジェイソン・ヒッケル氏によれば、資本主義は自然や身体をモノと見なして「外部化」し、搾取することで成立している、「ニーズを満たさないことを目的としたシステム」であるという。
そしてヒッケルは、「アニミズム対二元論」というユニークな視点で、資本主義の歴史とそれが内包する問題を白日の下にさらし、今後、私たちが目指すべき「成長に依存しない世界」を提示する。
今回、日本語版が4月に刊行された『資本主義の次に来る世界』より、一部抜粋、編集のうえ、お届けする。

■投資家は成長を追い求める
 アマゾンやフェイスブックなどの企業が拡大し続けるのは強欲だからだ、とよく言われる。マーク・ザッカーバーグのようなCEOは金と権力に夢中になっているとも言われる。
 だが、現実はそれほど単純ではない。実際は、これらの企業とそのCEOは、構造的な成長要求に支配されているのだ。世界各地の「ザッカーバーグ」は、より大きな機械の中で熱心に動く歯車にすぎない。
 その仕組みはこうだ。投資家の観点に立ってみよう。年5%の運用益を期待して、フェイスブックに投資したとする。覚えておいてほしいのは、期待される運用益が指数関数的に増えることだ。
 フェイスブックが毎年同じ利益を出し続けた場合、成長率は0%で、投資家に、投資した金額を返すことはできても、利子はつかない。投資家に利益をもたらすには、毎年、前年より多くの利益を出さなければならないのだ。
 投資家が企業の「健全性」を評価する際に純利益に着目しないのはそのためだ。彼らは利益率――言い換えれば、その企業の利益が毎年どれだけ成長するか――に着目する。資本家の観点に立てば、利益に意味はない。肝心なのは成長率なのだ。
 投資家は少しでも成長の匂いのするものを求めて、貪欲に世界中を探し回る。もしフェイスブックの成長が鈍化する兆しが見えたら、彼らはその資金をエクソンモービルやタバコ会社や学生ローン等々の成長企業に移すだろう。
 この容赦ない資本の動きは企業にとって強力なプレッシャーになり、企業は成長するためにできることを何でもするようになる。
 フェイスブックで言えば、より攻撃的な宣伝、より依存性の高いアルゴリズムの作成、悪徳業者へのユーザー情報の売却、プライバシーの侵害、組織的な政治的偏向、さらには民主主義への攻撃といったことだ。
 なぜなら、成長できなければ投資家は手を引き、会社は潰れるからだ。成長か死か。他に選択肢はない。この拡大の動きは、他の企業にもプレッシャーをかける。
 突然、誰もが安定したやり方に満足できなくなる。拡大の方向に進まなければ、競合他社に飲み込まれる。成長という鉄則に誰もが心を奪われているのだ。

■「複利」という危険な罠
 しかし、なぜ投資家は飽くことなく成長を追い求めるのだろう。それは、資本は動かさなければ、インフレや市場の変化などのせいで価値が下がるからだ。
 そのため、資本家のもとに集まった資本は、成長への強力なプレッシャーになる。資本が蓄積すればするほどプレッシャーは増していく。資本は次の「解決策」を求める。
 これが問題になるのは、成長には複利的性質があるからだ。世界経済は通常、1年で約3%成長している。経済学者に言わせれば、これは大半の資本家に利益を保証するために必要な成長率だ。
 3%は大して多くないように思えるが、それは、わたしたちが成長を直線的な成長と考えがちだからだ。資本再投資の土台となっている複利的成長は、わたしたちが気づかないうちに、油断のならないやり方で忍び寄ってくる。
 この成長の非現実的な性質を捉えた古い寓話がある。古代インドの数学者の話だ。王は彼の業績を称えるために宮殿に招き、「何でも欲しいものを言いなさい。それを授けよう」と言った。
 数学者は謙虚にこう答えた。「王様、わたしは控え目な人間です。わずかばかりの米をいただければと存じます」。
 彼はチェス盤を取り出すと、こう続けた。「1つ目のマスに米を1粒置き、2つ目に2粒、3つ目に4粒、というように、最後のマスに行き着くまで米粒を倍々に増やしてください。それだけの米をいただければ十分でございます」
 王は奇妙な要求だと思ったが、同意した。数学者が贅沢な褒美を望まなかったことを王は喜んだ。
 チェス盤の1列目が終わる時、米は200粒より少なく、1食分にも満たなかった。しかし、その後、驚くようなことが起きた。まだ半分しか来ていない32マス目で、必要な米粒は20億粒を超え、王国は破産した。
 もし続けることができていたら、最後の64マス目では米粒は1800万兆に達しただろう。インド全土を厚さ1メートルで覆い尽くすほどの米だ。

■3%の成長率でもありえない経済規模に
 経済成長においても同様の奇妙なメカニズムが働く。数学者リチャード・プライスは1772年にすでにその傾向を指摘している。複利で増える貨幣は「初めのうちはゆっくり増えていく……しかし、増える割合は次第に速くなっていくので、やがて想像もできない速さになる」と彼は述べている。
 たとえば2000年の世界経済が年3%の割合で成長するとしよう。この緩やかに見える成長でさえ、経済産出高は23年で倍になり、21世紀半ばより前に、つまり人間の寿命の半分の年月で4倍になる。
 このペースで成長が続けば、今世紀末には経済規模は20倍になる
 ――2000年の段階ですでに騒々しかった経済が、20倍になるのだ。さらに100年後には370倍になり、さらに100年後には7000倍、といった具合だ。どうなっているのか想像も及ばない。
 この攻撃的なエネルギーは急速な技術革新をもたらし、それこそが資本主義の特徴だ、と考える人もいる。確かにそれは事実だ。
 しかし資本主義はきわめて暴力的になりがちだ。資本は、蓄積を阻む障壁(市場の飽和、最低賃金法、環境保護など)にぶつかるたびに、巨大な吸血イカさながらに身をよじってそれを破壊し、新たな成長の源へ触腕を伸ばしていく。これが「解決策」と呼ばれるものだ。
 囲い込みは解決策だった。植民地化は解決策だった。大西洋の奴隷貿易は解決策だった。中国とのアヘン戦争は解決策だった。アメリカの西部開拓は解決策だった。これらの解決策はすべて暴力的だったが、新たな強奪と蓄積への道を切り開いた。いずれも資本の成長要求に応えるためだ。
 19世紀の世界経済は現在の貨幣価値で1兆ドルをやや上回る程度だった。それを年3%の割合で成長させるには、資本家は約30億ドルに相当する新たな投資先を見つけなければならない。
 かなりの額であり、しかもその金額は年々増えていく。これは投資家に多大な努力を求めた。その努力には19世紀を象徴する植民地の拡大も含まれていた。

■資本主義の冷酷な「鉄則」
 現在、世界経済は80兆ドル超に相当するため、年3%の成長率を維持するには、資本家は2.5兆ドル相当の新たな投資先を見つけなくてはならない。
 2.5兆ドルは、世界最大級であるイギリス経済の規模だ。どうにかしてこの先の1年でイギリス経済と同等のものを現行の経済に追加できたとしても、翌年にはさらに多くを追加しなければならず、それはずっと続く。
 一体どこで、これほど大量の成長を手に入れることができるだろう。このプレッシャーはすさまじい。
 それに突き動かされているのが、アメリカでオピオイド危機〔鎮痛薬依存症〕をもたらした製薬会社、アマゾンの森林を焼き払っている牛肉販売業者、銃規制に反対するロビー活動を展開する銃器メーカー、地球温暖化否定論に資金提供する石油企業、ますます巧妙な広告手法でわたしたちの生活に侵入して不必要な物を買わせようとする小売業者だ。
 それらは「腐ったリンゴ」ではない。資本主義の鉄則に従っているだけなのだ。
 (翻訳:野中香方子)