現代思想の冒険(竹田青嗣著)
この作品は1987年刊行されたものが文庫本されたものを読んだ。
内容は、「ポスト構造主義」についての、そして、そこからさかのぼり、ニーチェやヘーゲルなどの近代哲学に到るまでの、思想史?的なもので、非常に簡潔にわかりやすく著されている。
(わかりやすく書けるということは、竹田氏が、それだけ良く各テキストを、読み込んでいるという証拠なのだろう)
しかし、残念ながら、現代思想は、近代思想を批判する事であり、それを越えていないという趣旨で話が展開され、最後には、キルケゴール、そして、再度ニーチェ、ハイデッガーなどの思想に、ことばを変えれば、より社会を対象にした思想から、各個人を対象にした思想に還っていく。
ある意味「ニヒリズム」と捉えられようとも、近代思想までの、人間の発展に対する「楽観論」は20世紀で完全否定された、その脆い思想の足場の上で、どの様に考えてけば良いのだろうか?
その時、私としては陥りたくないのは、余りににも理性的・合理的に、今となっては回答の見出せない「思想・思索」を、軽んずる立場だ。
考える時間を持つ事は、それをしない事との間に、大きな差が生まれる。
ただ、私もこのような考えをしだしたのは、ここ数年であるから、それを、闇雲にお勧めするわけではない、ふとした時に、そのような事に興味があれば、取り組めば良いと思う。
また、単に「そんなもの」でもある。
本書を読むと、最後の方は、立場が違えど「生老病死」をはっきり意識していた、仏教の思想とも接近してくる。
そんなことを思った。
内容は、「ポスト構造主義」についての、そして、そこからさかのぼり、ニーチェやヘーゲルなどの近代哲学に到るまでの、思想史?的なもので、非常に簡潔にわかりやすく著されている。
(わかりやすく書けるということは、竹田氏が、それだけ良く各テキストを、読み込んでいるという証拠なのだろう)
しかし、残念ながら、現代思想は、近代思想を批判する事であり、それを越えていないという趣旨で話が展開され、最後には、キルケゴール、そして、再度ニーチェ、ハイデッガーなどの思想に、ことばを変えれば、より社会を対象にした思想から、各個人を対象にした思想に還っていく。
ある意味「ニヒリズム」と捉えられようとも、近代思想までの、人間の発展に対する「楽観論」は20世紀で完全否定された、その脆い思想の足場の上で、どの様に考えてけば良いのだろうか?
その時、私としては陥りたくないのは、余りににも理性的・合理的に、今となっては回答の見出せない「思想・思索」を、軽んずる立場だ。
考える時間を持つ事は、それをしない事との間に、大きな差が生まれる。
ただ、私もこのような考えをしだしたのは、ここ数年であるから、それを、闇雲にお勧めするわけではない、ふとした時に、そのような事に興味があれば、取り組めば良いと思う。
また、単に「そんなもの」でもある。
本書を読むと、最後の方は、立場が違えど「生老病死」をはっきり意識していた、仏教の思想とも接近してくる。
そんなことを思った。