110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

文化記号論(池上嘉彦・山中桂一・唐須教光著)

 本書は1983年に出版された著書を元に、1994年講談社学術文庫化されるにあたって、多少、手を加えたものだ。
 文化の基底には言葉があり、言葉は記号論の部分を構成している、本書でもサピアの「科学としての言語学の地位」という論文から次のように引用している。
 人間は客観的世界にのみ生きているのでもないし、通常理解されているような社会的活動の世界にのみ生きているのでもなく、その社会の表現手段となっている特定の言語に強い影響を受けているのである。本来言語を使わないで現実に適応できると考えたり、言語をコミュニケーションや、内省の特定の問題を解くための偶然の手段であると考えるのは全くの幻想にすぎない。事実は<現実世界>というのは、かなりの程度まで、その言語使用者の集団の言語習慣の上に無意識に築かれているのである。どの二つの言語をとってみても、同じ社会的現実を表していると考えられる程似た言語はないのである。異なる社会が生きている世界は別の世界なのであり、単に異なるレッテルが付けられた同一の世界ではないのである。
 その直後に、「・・・われわれは、前人類が例外なくもっている言語という文化(記号体系)を通してしか現実を構成することができないのであり、したがって、それぞれの言語という記号体系が異なれば、見えてくる世界も違ったものになってくるのである。・・・」とある。

 文化の基底をなすのが「言語」であるのならば、第二次世界大戦に言語統制をした日本は深刻な「文化侵害」をしたのかもしれない、そのイメージは後々まで尾を引くことが有るのかもしれない。
 そして、「異言語=異文化」であるならば、非常に特殊な立場にあると思われる「日本語」で、他の国々とどのように「外交」するのかという視点は重要な事のようにも思われる。

 これから(ポスト構造主義という観点では)遅ればせながら「言語論」に、少し関わっていきたいと思う、それは、本書のように「言葉」の力について考えているからだ。