110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

歩くことと読書

 本当は、「歩き」というカテゴリに入れても良かったのかもしれないのですが、まぁ「たわいもない事」なのでここに書いています。

 本来、「歩く」ということと「読書」の間には、あまり因果関係はなさそうに思えます。
 「歩く」とともに「読書」する「歩き読み」という、自称「わざ」を創り(?)出したので、無理な理屈として、関係を作ったとも言えるのですが、それは、もちろん論外であると思っています。
 しかし、最近、この「歩く」と「読書」というのは、「あながち無関係では無いぞ」と思いだし始めました。
 それは、こういうことです、「私は本を手に入れるために歩いている」。
 「なんだそりゃ」と思われると思いますが・・・

 それは、まず、私の興味が、今のところ思想的なもの、哲学とか、心理学とか、(最近は文学というのが気になってきましたが)であり、例えば、ハイデッガーの「存在と時間」を読もうと思えば、20世紀初期の著作ですから、新刊本を買う必要はありません、古本屋を上手く探せば安く手に入るわけです。
 また、最近の書店は、ベストセラーを並べるところが多く、たまたま、文庫本化されたような著作は別として(サルトルの「存在と無」が最近でました、確かに名著ですが、個人的には「どうするのよ」というイメージです)、思想系の本は手に入りにくく、更に、新刊は高価であることが多いわけです。
 そして、郊外の古書店は、とくにチェーン店化されているところは、本の価値に付いては余り関心が無く、本の回転に関心があるようで、もとより、仕入れ値も安いことから、意外な掘り出し物が出てくる「可能性」が潜んでいます(ある古書店で、ブックオフの105円の値札が貼ってあるの本を900円でも買ったことがありました、誰だこの本(バタイユ)を105円にしたのは・・・?)。
 その可能性で考えると、確率的に、たくさんの、店舗を何回も回った方が良いわけです。
 そういう観点からすると、ブックオフの様なお店と、品揃え良いの(いわゆる)古書店をグループにして、ぐるぐる回れるような散歩(歩き)コースにしておけば良いわけです。
 ですから、最近、「歩く」の内容も本の買い出しみたいになってきたことにお気づきかもしれません。
 あと根本的な問は、古本やまでなぜ歩くかという問題ですが、これは「趣味」というしかないですね。
 もう少し上手に言えば、交通機関を使って渡り歩くのは意外に面倒で、車は持っていないのでということでしょうか、健康のためというのは、少し違うと思っています?

 先日も、拝島駅まで歩く途中で、古本屋を尋ねたのですが、あるブックオフの店舗では、文庫本200円セールをしていました、これにはすぐ飛びつきました、4冊買いましたが、普通に買えば、2300円相当ですが800円で済みました、この効果は、経済的に得であるのとともに、この機会に、普段買わないようなジャンルの本に手が出せるという効果があります。
 ちなみに、この時の4冊の内訳は、
 被差別部落一千年史(高橋貞樹著)
 南方熊楠鶴見和子著)
 昭和天皇(上下巻、ハーバード・ビックス著)
 自分としても本当に読むか自信がないものばかりです。
 ただ、もしかすると、この中に、本当に面白くて次につながる本があるかもしれません、それは、読んでみないとわからない部分もあるのです。

 そして、最近少し得したなぁと思っている本は、
 唯一者とその所有(シュティルナー著)
 で、1967年刊行の古いものですが、上下で500円でした。最近復刻しているものは装丁もきれいですが古書でも3000円以上します(でも、まだ読んでいない)。
 (そう言えば「現代思想清水幾太郎著)」も得した気分)

 この手の話はまだまだありますが、危惧していることもあります、この先、本が少なくなることはないだろうかということです、上記のように、得した話の裏返しですが、得するということは、それらの本(昔は価値があった本・・・名著)の一般的な価格上の価値観が下がっていることではないかと思います。
 それは、この手の本の供給量が下がるということにつながるかもしれません、それは、確率的に、私の手元に来なくなることでもあるわけです(それほどお金は出せませんし)。

 まぁ、そんな危機感はありつつも、古本をベースに読んでいるので、思想的には、20年くらい前にいることになりますが、あまり気にせずにのんびりとこの境遇を楽しんでいるのです。

 【追記】あ、そうそう「社交する人間(山崎正和著)」も(なんと)古本で手に入れましたよ(→大三元さん宛)。