110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

越生梅林

 歩きの記録では紹介できなかった「越生梅林」です。
 
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 まず「越生梅林」とは
 越生梅林
 所在地越生町大字堂山
 南北朝の頃、九州太宰府から小杉村太梅(現越生町大字小梅)へ天満宮分祀する折に梅を植えたのが、越生梅林の始まりと伝えられている。
 その後、越辺川河岸のこの地が梅の生育に適したことは、新編武蔵国風土記稿の津久根村の項に「土地梅に宜しく梅の樹を多く植ゆ、実を取って梅干として江戸へ送る。比辺皆同じけれど殊に当村に多しといふ。」と記されていることからも明らかである。明治時代になると、春雨に煙る梅林の風情を愛して、佐々木信綱、田山花袋、野口雨情等の詩人が訪れ、詩歌を残している。
 現在では、梅林を中心として二万五千本の梅が栽培され、梅林発祥の礎となった天満宮では、毎年「梅まつり」と秋の大祭に獅子舞が行われる。
 昭和五十八年三月 埼玉県

 まず、目についたのは、敷地内を走るミニSLでした。
 子供さん向きには良さそうですね。
 
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 で、中はこんな感じです、梅の樹のトンネルの中を歩く感じでしょうか?
 背の高い人は要注意です、頭をぶつけます。
 
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 これや・・・
 
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 こんなのも・・・
 
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 これは「魁雪(かいせつ)」という梅の古木です。
 
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 以下の解説がありました。
古木「魁雪(かいせつ)」
越生の梅は、南北朝時代の觀応元年(1350)に九州太宰府から小杉天満宮(現梅園神社)を分祀した際、菅原道真にちなんで梅を植えたのが起源であると伝えられている。魁雪はそのころの梅(越生野梅)が、ここまで生き長らえたものと推定される。
太田道灌の父、太田道真は退隠後、越生に居館自得軒を構えていた。歌人としても名をなした道真は川越(河越)城で主催した連歌会「川越千句」では、
 梅さきぬ なお山里を おもふ哉
と詠んでいる。この会にも同席した当代一流の連歌師心敬や宗祗も、越生の梅を讃えた句をのこしている。
 文明十八年(1486)六月、道灌は詩友万里集九とともに自得軒に父を訪ね、詩歌会を開いた。道灌が謀殺されるのは翌七月のことである。父子最後の対面となったのはこの折に、万里が詠じた漢詩「郭公稀」は、万里の漢詩文集『梅花無尽蔵』に収められている。
 道真道灌父子が、あるいは、中世の雅人たちが、この梅の花を愛で、その実を手にとったかも知れない。
 梅の木は樹齢二百年にもなると、ねじれが始まってくるという、人の世のの栄枯を見つめ、六百五十年を経てなお可憐な花を咲かせ続ける貴重な名木である。
 平成十九年二月吉日 越生町観光協会

 こんなところでしょうか?
 私の行った3月16日は、まだ満開という感じではなかったので、まだまだ、見頃のタイミングはありそうですよ。