飼いならされた人間と野性的人間(セルジュ・モスコヴィッシ著)
原書は1974年の作品、法政大学出版局から1983年に刊行されたものを読む。
まずは、このような著書名に惹かれてしまうが、これは、自然主義の立場から、人間主義を批判する趣旨を反映している。
自然主義については、非常に浅学ながら、良くいわれるところは、この文明社会の中に居ながらにして、自然主義を提唱するという矛盾した立場だ。
本書でも、そういう意味で、極端な論調も見受けられるが、全体的には、極論に陥らずに、どのように加速する現状を制御していくのかという、問題提起をしているように思う。
さて、その問題提起が行われたのは1974年だから、既に30年以上前の思想になる。
あくまで、私的な見方で恐縮だが、自然主義は、現代注目される、環境問題というキーワードとある意味呼応する部分があると思う。
典型的な自然主義のように過去へ戻ることもできず、かといって、解決のための技術革新もまだ一般に走られていないような現時点で、どういう風に考えていけば良いのだろうか。
ちなみに、環境問題は、かなり前から、下手すると一世紀も前から提唱されていた問題であることがわかる、そういう意味では過去の著作にも何か得るところがあるかもしれない。
邪論だが、現在の中国の成長を見ると、間接的かもしれないが、今世紀にマルクスの思想が復活するかもしれない。
まずは、このような著書名に惹かれてしまうが、これは、自然主義の立場から、人間主義を批判する趣旨を反映している。
自然主義については、非常に浅学ながら、良くいわれるところは、この文明社会の中に居ながらにして、自然主義を提唱するという矛盾した立場だ。
本書でも、そういう意味で、極端な論調も見受けられるが、全体的には、極論に陥らずに、どのように加速する現状を制御していくのかという、問題提起をしているように思う。
さて、その問題提起が行われたのは1974年だから、既に30年以上前の思想になる。
あくまで、私的な見方で恐縮だが、自然主義は、現代注目される、環境問題というキーワードとある意味呼応する部分があると思う。
典型的な自然主義のように過去へ戻ることもできず、かといって、解決のための技術革新もまだ一般に走られていないような現時点で、どういう風に考えていけば良いのだろうか。
ちなみに、環境問題は、かなり前から、下手すると一世紀も前から提唱されていた問題であることがわかる、そういう意味では過去の著作にも何か得るところがあるかもしれない。
邪論だが、現在の中国の成長を見ると、間接的かもしれないが、今世紀にマルクスの思想が復活するかもしれない。