群集心理(ギュスターヴ・ル・ボン著)
群集心理なる言葉を生んだ古典的名著、底本は1951年創元文庫版で、私は、講談社学術文庫版で読む。
解説にも、群集心理の位置付けについての疑問などがあるという様な事があり、厳密な意味で今日に採用できる論述なのかは評価が分かれそうだが、ごく一般人として読むと、原語での初版1895年という時代から考えて、110年以上経過した現在でも、変わっていない部分がある。
例えば、
「・・・それは、教科書の暗礁が知力を発達させると信じこんでいることなのである。そこで、人々は、できるかぎり教科書をおぼえようと努める。そして、青年は、小学校から博士の学位や教授資格を得るまで、ただ教科書の内容を鵜呑みにするだけで、決して自分の判断力や創意を働かせないのである。青年にとって、教育とは、暗誦と服従とを意味する。・・・」
これは、本書中で「ラテン式教育法」と命名されたものだが、どこかの国でも似たような事が議論されていたのでは無いか?
そんな、普通に社会や政治に関することに疑問を持ちながら読むと、全然違う国の、全然別の時代(時期)の書籍が、今の状況に置き換えても通じたりすることがある(無理矢理当てはめてるという向きもあろうが)。
そんな楽しみかたをしながら読んだ著作であった。
解説にも、群集心理の位置付けについての疑問などがあるという様な事があり、厳密な意味で今日に採用できる論述なのかは評価が分かれそうだが、ごく一般人として読むと、原語での初版1895年という時代から考えて、110年以上経過した現在でも、変わっていない部分がある。
例えば、
「・・・それは、教科書の暗礁が知力を発達させると信じこんでいることなのである。そこで、人々は、できるかぎり教科書をおぼえようと努める。そして、青年は、小学校から博士の学位や教授資格を得るまで、ただ教科書の内容を鵜呑みにするだけで、決して自分の判断力や創意を働かせないのである。青年にとって、教育とは、暗誦と服従とを意味する。・・・」
これは、本書中で「ラテン式教育法」と命名されたものだが、どこかの国でも似たような事が議論されていたのでは無いか?
そんな、普通に社会や政治に関することに疑問を持ちながら読むと、全然違う国の、全然別の時代(時期)の書籍が、今の状況に置き換えても通じたりすることがある(無理矢理当てはめてるという向きもあろうが)。
そんな楽しみかたをしながら読んだ著作であった。