110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

昭和天皇(ハーバート・ヒックス著)

 本書は2002年に講談社から刊行されたもの、現在は講談社学術文庫で読める。

 特に、歴史に興味があるわけでは無いのだが、このところ、明治、大正、昭和の初期という時代、言葉を変えると「現人神」が復活した時代に興味がある。
 その究極的(終末的)な事象が、第二時世界大戦であることも事実だと思う。
 何故、その様な思想が表れたのか?そして、その後どのように対応したのか?そして、その影響は現在にも存在するのか?
 昭和という時代に生まれた日本人であることから、そういう事に、遅ればせながら考えを巡らしている。
 本書でも取り上げられている、昭和天皇とその戦争責任については、容易には答えは見出せないことは確実だが、その問題提議と自分なりの意見はもっているべきだと思った。

 本書の骨子は「著者ノート」として書かれた以下の内容ではないだろうか?
 道徳的、政治的、法的な意味における"accountabillity"という言葉は、日本語の「説明責任」より広い意味がある。官僚、軍人のトップ(とりわけ国家元首)が国内法、国際法を破って権力を行使し、また幇助して自国民や他国民に重大な危害を与えた場合、単なる言葉での謝罪では不十分である。法的行為が伴わなければならない。

 本件を読み解くには、大きく2つの視点がとれると思う、それは、日本国民という内側から見る方法と、本書のように外側から見る方法だ、何回か本ブログに登場した山本七平氏の視点は、この両方の立場をとっているように思える。
 
 さて、この問題に関する議論はすでに多数に及ぶことなので、詳細は省きたい(本人の心の中で問いかければ良いことだと思う・・・思考の棚上げは良くないと思うが)。

 ただ、本書を読んでいて、ハンニバルのいたカルタゴを思い出していた、ローマ帝国を窮地に陥れたハンニバルは、その後破られ、カルタゴローマ帝国の従順な属州となったが、その後、かなりの年月を経過した後、ある事件を契機に完全に滅ぼされた。
 例えば、中国と日本の関係も、その事件を忘れたい(意識下に抑圧したい)日本と、顕在化したい中国という図式がどうも頭から離れない。
 それが、表面的に、そして、内面的な、"accountabillity"という事なのでは無いだろうか?

 天皇が本当に現人神なら、悩むことはなかっただろう。
 しかし、人間であるならば、あれだけの事件を、それが直接的であろうと、間接的であろうと引き起こしたのであるならば、なんらかの意識の抑圧がなければ「自我」を保つことはできないと思う。
 そして、「モーセ一神教」のフロイトではないが、日本国民も何かの精神的な傷を負っているはずだと思われる。