<戦前>の思想(柄谷行人著)
本書は1994年文芸春秋社より刊行のもの、私は講談社学術文庫版(2001年初版)で読む。
少し前に「言葉と悲劇」を取り上げたが、本書も同様に講演集となっている、内容的には政治的な面が濃く出ているように思う。
そして、本書を読んでいて、以前より考えていたことが少し整理された。
それは、日本という国のことで、多分、日本国民と思われる人々は、それぞれ最善のことをやっていると思って日々暮らしているのだが、何故か、GDPは中国に抜かれ、ここ数十年、他国は成長しているのにわが国経済は足踏みを続け、財政赤字は普通の「人」ならば貸してくれないほど大きい。
それは何故だろう?
本書は、文学書であり、政治的な言及もあるが、良識の範疇にとどまっている、しかしながら、本書の様な、抽象性はあるが徹底した問題意識にはとても興味深いものがある、すなわち、
本書を読んでいると、国家(国)の定義はとても難しいことがわかる。
そして、わが国が特殊な存在であることもわかるのだ。
もしかすると、その特殊性が、丁度、精神分析で言うところの「無意識」に現出してしまったのではないのか、そのために現在の状況があるのではないのか・・・と、またしても直感で憶測する。
多分、この国家を変えることができる可能性があるのは、現在の若い人たちだろう、既に、その兆しがあると思うが、少なくとも昭和という時代の事象の延長にいてはいけないと思うのだ(状況も変化しているし)。
しかし、その兆候があるにしても、現実に成就するとは限らない。
そう、革命はそう簡単には起らないのだ。
確率的には、大地震と同じように低い頻度だ。
少し前に「言葉と悲劇」を取り上げたが、本書も同様に講演集となっている、内容的には政治的な面が濃く出ているように思う。
そして、本書を読んでいて、以前より考えていたことが少し整理された。
それは、日本という国のことで、多分、日本国民と思われる人々は、それぞれ最善のことをやっていると思って日々暮らしているのだが、何故か、GDPは中国に抜かれ、ここ数十年、他国は成長しているのにわが国経済は足踏みを続け、財政赤字は普通の「人」ならば貸してくれないほど大きい。
それは何故だろう?
本書は、文学書であり、政治的な言及もあるが、良識の範疇にとどまっている、しかしながら、本書の様な、抽象性はあるが徹底した問題意識にはとても興味深いものがある、すなわち、
本書を読んでいると、国家(国)の定義はとても難しいことがわかる。
そして、わが国が特殊な存在であることもわかるのだ。
もしかすると、その特殊性が、丁度、精神分析で言うところの「無意識」に現出してしまったのではないのか、そのために現在の状況があるのではないのか・・・と、またしても直感で憶測する。
多分、この国家を変えることができる可能性があるのは、現在の若い人たちだろう、既に、その兆しがあると思うが、少なくとも昭和という時代の事象の延長にいてはいけないと思うのだ(状況も変化しているし)。
しかし、その兆候があるにしても、現実に成就するとは限らない。
そう、革命はそう簡単には起らないのだ。
確率的には、大地震と同じように低い頻度だ。