110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

中世の光と影(掘米庸三著)

 本書は文藝春秋社刊行「大世界史」の第七巻「中世の光と影」を底本としたもの、私は講談社学術文庫版で読む。

 講談社学術文庫版の読み方、楽しみ方はいくつかあるけれども、私は、帯に記される(発行)ナンバーの古いものを好んで集めたり、読んだりしている。
 それは、一つは、値段が安いこともあるのだが、例えば、昭和初期の作品で、明らかに(隠れた)ベストセラーの書籍を、現代語で読むことができるというメリットがあるからだ(「勘の研究」とか「地獄の研究とか・・・・ね?)。
 ただし、当然、その当時のベストセラー、もしくは主力な学説も、その後の進展により既に通用しないもの(無力化)してしまったという場合もありうる、そうすれば、間違った見解にしたがってしまう危惧もないことはないのだが、これは、まぁ、私が趣味で読んでいくという中で、その限界を意識するということで対処するほかないのだろう。

 そして、本書も底本は昭和42年刊行だが、読んでみると面白い内容である、歴史の解釈というものそのことについても、なかなか、興味があり単純に結論は出ないことなのだが、例えば、アメリカを含む西洋ということを考えると、現在その宗教観は薄れているように見えるのだが、やはり、キリスト教を骨子とした思想が避けて通れないように思う。
 そのキリスト教を骨子とする歴史は、現在に結びつき、はたまた、さかのぼると、東洋(イスラム)が、西洋よりはるかに文化的学術的に進んでいた時代があったということが、西洋の東洋に対するコンプレックスを作り出したのではないかという、稚拙な精神分析主義的考えも浮かんでしまうのだ。
 そんなことを考えながら、本書は、日本人という第三者的な目で、西洋の中世を(意外に)冷静に眺めているところが、とても魅力的なのだ。

 ただし、迂闊に他人のあら捜しに終始してはいけない、平家物語に「諸行無常」と詠われているように、ローマ帝国も、平家も衰退し滅したわけだ、これいつが、日本やアメリカに訪れるとも限らない。