実存と虚存(上田閑照著)
本書の底本は1992年弘文堂刊行の「場所-二重世界内存在」で、本書は、1999年ちくま学芸文庫版化に伴って加筆増補したもの。
本書は題名からも伺えるように、人間の存在を取り上げたものだが、存在そのものよりも、存在する場所を思考の中心としている。
副題の「二重世界内存在」とあるように、いわゆる世界は、二重性を帯びていると言うもの、それが「実」と「虚」という言葉で象徴されている。
本書では、この世界観に対する論述として、西田幾多郎や(仏教の)十牛図などの、(いわく)東洋思想も取り上げており、日本人(日本語)としては、とてもなじみの良い著作であると言える。
もとより、カオスとコスモスと良く対比されるように、世の中には、(人間の)文化・文明ではどうしても汲み尽くすことができない「モノ」がある。
それを忘れてしまう、もしくは抑圧してしまうことで、本来そこにあるはずのもの(二重世界)の一方だけを「そこにあるもの」としてしまうことによる、(本質的な)現代の問題があるのではないのか?
そのような問題提起をしてくれる本である。
「ハイデッガー~西田幾多郎~十牛図」という関係に興味を持たれた方は、読むと面白いかもしれない。
本書は題名からも伺えるように、人間の存在を取り上げたものだが、存在そのものよりも、存在する場所を思考の中心としている。
副題の「二重世界内存在」とあるように、いわゆる世界は、二重性を帯びていると言うもの、それが「実」と「虚」という言葉で象徴されている。
本書では、この世界観に対する論述として、西田幾多郎や(仏教の)十牛図などの、(いわく)東洋思想も取り上げており、日本人(日本語)としては、とてもなじみの良い著作であると言える。
もとより、カオスとコスモスと良く対比されるように、世の中には、(人間の)文化・文明ではどうしても汲み尽くすことができない「モノ」がある。
それを忘れてしまう、もしくは抑圧してしまうことで、本来そこにあるはずのもの(二重世界)の一方だけを「そこにあるもの」としてしまうことによる、(本質的な)現代の問題があるのではないのか?
そのような問題提起をしてくれる本である。
「ハイデッガー~西田幾多郎~十牛図」という関係に興味を持たれた方は、読むと面白いかもしれない。