「善さ」の構造(村井実著)
本書は講談社学術文庫1978年刊行のもの、私は1995年14刷版を読む。
「善さ」(良さ)とは何かということを追求していくもの。
確か、プラトンの「メノン」だったと思うが「徳とは何か」を追求した手法に、幾分似ているところがあるように思った。
そうそう、四面体のところでは、九鬼周造の「いきの構造」を思い出した。
「善さ」とは、相互性、無矛盾性、効用性、美をそれぞれ頂点とする、四面体の構造をなしている、その内部に「善さ」が存在する。
ここで、ふと思ったのは、この四面体の重心にあたる部分は何なのか?
これが、理想的な「善さ」ではないのか・・・・そんなことを思ったのだ、しかし、この4つのパラメータは、どうも、均等に重みをつけられないもの、言葉を変えれば、質的な要素が強いもののように思うので、この四面体は、イメージ(象徴)としての位置づけの様に思われる。
そして、「善さ」がこのような位置づけということは、「善さ」には、抽象性(もしくは主観性)が強いということになりそうだ。
本書ではその後、「善さ」に対する東西比較をし、西洋では、善さの客観的意味を追求し、東洋は、その主観的な効用を追求しているとして、そのアプローチの差を明らかにする。
しかしながら、それぞれのアプローチでは、片手落ちであり、それぞれ、主客を統合した形での「善さ」を追及することが必要ではないかという、新しい問題提起で本書は終わるのだ。
私もなにげなく「良い」という言葉を多用するが、この言葉が、なかなか曲者であったことに気づかされた。
例えば、「本書は良い(善い)本」だと書いたとき、これを読む人はどのように捉えるのであろうか?
「善さ」(良さ)とは何かということを追求していくもの。
確か、プラトンの「メノン」だったと思うが「徳とは何か」を追求した手法に、幾分似ているところがあるように思った。
そうそう、四面体のところでは、九鬼周造の「いきの構造」を思い出した。
「善さ」とは、相互性、無矛盾性、効用性、美をそれぞれ頂点とする、四面体の構造をなしている、その内部に「善さ」が存在する。
ここで、ふと思ったのは、この四面体の重心にあたる部分は何なのか?
これが、理想的な「善さ」ではないのか・・・・そんなことを思ったのだ、しかし、この4つのパラメータは、どうも、均等に重みをつけられないもの、言葉を変えれば、質的な要素が強いもののように思うので、この四面体は、イメージ(象徴)としての位置づけの様に思われる。
そして、「善さ」がこのような位置づけということは、「善さ」には、抽象性(もしくは主観性)が強いということになりそうだ。
本書ではその後、「善さ」に対する東西比較をし、西洋では、善さの客観的意味を追求し、東洋は、その主観的な効用を追求しているとして、そのアプローチの差を明らかにする。
しかしながら、それぞれのアプローチでは、片手落ちであり、それぞれ、主客を統合した形での「善さ」を追及することが必要ではないかという、新しい問題提起で本書は終わるのだ。
私もなにげなく「良い」という言葉を多用するが、この言葉が、なかなか曲者であったことに気づかされた。
例えば、「本書は良い(善い)本」だと書いたとき、これを読む人はどのように捉えるのであろうか?