110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

機械の現象学(阪本賢三著)

 本書は岩波書店「哲学叢書」1975年刊行のもの。
 
 こういう、当時としては高価な書籍が、現在安くなっている。
 時代性などを考えると、読んでも無駄というものもあるかもしれない、しかし、その中に潜む(思考の)普遍性などに出会うと、思わず嬉しくなることもあるのだ。

 本書は、そういう類の本だった、誰にも薦められる著作ではないが、機械と現象学というキーワードに興味がある人にとっては面白いかもしれない。
 そして、題名から想像する所の、人間の阻害についても、本書の発行年度から推して、触れられているのではないかと考えられた人は正解である。

 機械は、人間の働きを<外化>したものだという考え方は、とてもわかりやすい。
 いわゆる、道具の<外化>に機械があり、人間の内面の意識などの<外化>が、社会や言語や貨幣であったりするのだ。
 だから、いかにそれら(社会など)に圧迫されようと、人間の<もと>から生じたものなのだ、そういうものだから、おいそれと否定したり、戻ったりできるものではない(因縁は自分で作っている)。

 人間の要求からでたもの、それが本書では<機械>という象徴であるなら、それは、意識しようと無意識であろうと、自身が望んだものであるはずだ、だから、それを今の思想(イデアもしく現在は自然科学的手法)の延長上で乗り越えていかなければならないだろう。
 そんなメッセージを本書からは受けたのだ。

 さて、その機械、そして、人間の機械化、阻害という流れは、20世紀的なもののように思われる。
 21世紀は、その乗り越えという方向よりも、その傾向が、より深化してきた様に思う。
 それは、本書でも多少触れられている、(抽象的だが)社会システムの中に、人間が完全に取り込まれているような感じがする。
 人間が、自分の要求に応じて作り出した抽象、それが、今の社会ならば、その余りの抽象性に、適応できる人間とできない人間が生まれてくるのではないだろうか。
 その原因は、人間が、元来自然の中から生じたことが原因なのではないか。

 しかし、まぁ、どんどん息苦しい世の中を作っていく、その(人間の)手腕を思うと、自分ごとながらその執念に、ため息をついてしまうのだ・・・ちなみに、この意見は、ニヒリズムだろうか?