表と裏(土居健郎著)
本書は弘文堂1985年刊行のもの、ちなみにリサイクル書籍であった。
本書は「甘えの構造」の続編という位置づけの著作ということだ。
表題の「表と裏」は「建前と本音」という関係に置き換えられる。
「建前と本音」は、正に人間の精神の「表と裏」を示す。
そして、日本にはこの「表と裏」を容認する文化があるという指摘をする。
そして、個々の人間は、(外部の)世界に対しては、多面的(多様性といっても良いだろうが)に関係を持つが、それも受容的に持つ場合があるが、その多面性の故に、個人としての対応にズレがおきる。
それは、例えば家庭ではで優しい人でありながら、他方仕事では厳しい人になると言うように、相矛盾する場合がある。
(いや、本来極端な表面上に現れる性格的なものは、その反対の要素を内包しているとも考えられる)
それを調整するのが、本書で言う「裏」の部分だということになる。
そして、著者は、その裏の部分がどんどん表に出されている状況があるのではないかという仮説を立てる。
それは、アメリカ的(西洋的)な思想・文化の影響ではないかというのだ。
すなわち、非常に抽象的な話だが、人間の心(精神)が「表と裏」というそれぞれの均衡で成立していたものが、「表」というある側面だけが優勢になり、そのバランスが崩れているのではないか?
そして、そのバランスの崩れが、社会に悪影響を及ぼしているのではないか?
というのが、本書の趣旨のようだ。
さて、例のごとく最後にこのように書くのが私としては恒例だが、本書が刊行されたのが1985年であり、約四半世紀が経過した。
本書の仮説について現在はどのような状況下にあるのだろうか?
そんなことを考えてしまうのだ。
本書は「甘えの構造」の続編という位置づけの著作ということだ。
表題の「表と裏」は「建前と本音」という関係に置き換えられる。
「建前と本音」は、正に人間の精神の「表と裏」を示す。
そして、日本にはこの「表と裏」を容認する文化があるという指摘をする。
そして、個々の人間は、(外部の)世界に対しては、多面的(多様性といっても良いだろうが)に関係を持つが、それも受容的に持つ場合があるが、その多面性の故に、個人としての対応にズレがおきる。
それは、例えば家庭ではで優しい人でありながら、他方仕事では厳しい人になると言うように、相矛盾する場合がある。
(いや、本来極端な表面上に現れる性格的なものは、その反対の要素を内包しているとも考えられる)
それを調整するのが、本書で言う「裏」の部分だということになる。
そして、著者は、その裏の部分がどんどん表に出されている状況があるのではないかという仮説を立てる。
それは、アメリカ的(西洋的)な思想・文化の影響ではないかというのだ。
すなわち、非常に抽象的な話だが、人間の心(精神)が「表と裏」というそれぞれの均衡で成立していたものが、「表」というある側面だけが優勢になり、そのバランスが崩れているのではないか?
そして、そのバランスの崩れが、社会に悪影響を及ぼしているのではないか?
というのが、本書の趣旨のようだ。
さて、例のごとく最後にこのように書くのが私としては恒例だが、本書が刊行されたのが1985年であり、約四半世紀が経過した。
本書の仮説について現在はどのような状況下にあるのだろうか?
そんなことを考えてしまうのだ。