暴力論(ソレル著)
本書は岩波文庫版2007年初版の新訳(今村仁司・塚原史)を読む。
読むとは書いたが、実は、上下二分冊の本書の読了時期が大きく離れているのだ。
その要因は、当方の浅識もあるが、文章が難しいのだ、そこでとりあえず上巻を読んだ後、放り投げてしまったのだ。
それが、久しぶりに出てきて「しまった、読んでいなかったのか・・・」と体裁だけ読むことにしたのだが・・・。
結論としては、本書は、その難解性を超えて読む価値の或る本だと思う。
それは、本書の翻訳者の一人、今村氏が最後に取り組んだ仕事であることに象徴される。
ソレルの暴力論の本来の目的と異なる読み方をされた、その「(誤解された)読み方」を知ることに価値があるのではないかと思うのだ。
そして、本書の中で、日本語で言うところの「暴力」は2種類の言葉で表される。
ソレルの想定した「暴力」・・・それは一般的な『暴力』ではない、の意味を少しかみ締めてみることは、(あなたにとってはもしかすると)有意義なことではないかと思う。
残念ながら、本書は、その価値を見出せずに読み進めてしまった。
今回は、教訓的、反省的な読書であった。
今村氏には、いまさらながら、間接的にいろいろと教えを受けていることに気づく。
読むとは書いたが、実は、上下二分冊の本書の読了時期が大きく離れているのだ。
その要因は、当方の浅識もあるが、文章が難しいのだ、そこでとりあえず上巻を読んだ後、放り投げてしまったのだ。
それが、久しぶりに出てきて「しまった、読んでいなかったのか・・・」と体裁だけ読むことにしたのだが・・・。
結論としては、本書は、その難解性を超えて読む価値の或る本だと思う。
それは、本書の翻訳者の一人、今村氏が最後に取り組んだ仕事であることに象徴される。
ソレルの暴力論の本来の目的と異なる読み方をされた、その「(誤解された)読み方」を知ることに価値があるのではないかと思うのだ。
そして、本書の中で、日本語で言うところの「暴力」は2種類の言葉で表される。
ソレルの想定した「暴力」・・・それは一般的な『暴力』ではない、の意味を少しかみ締めてみることは、(あなたにとってはもしかすると)有意義なことではないかと思う。
残念ながら、本書は、その価値を見出せずに読み進めてしまった。
今回は、教訓的、反省的な読書であった。
今村氏には、いまさらながら、間接的にいろいろと教えを受けていることに気づく。