110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

歎異抄(野間宏著)

 本書は昭和48年筑摩書房刊行のもの。

 平和な時代が訪れると戦乱の世の中で培われた思想(親鸞の思想)が衰え歪曲され俗化されて広められてしまうことを嘆く、そして、それは著者にとっては、戦後20年以上を経過し平和な世の中になった日本にもあてはまるのものと思われた。
 そこで、歎異抄の現代語訳とともに解説を付け加えた本書が作られたのだろう。
 そして、さらに一見平和が続いているこの日本で歎異抄をどうとらえれば良いのだろうか?

 私について記せば、まず善人ではない、開き直った考え方だが年を取るということはそれだけ多少の悪さ(悪業)をおこなうことであり、それも意識的にも無意識的にも行われることだ。
 それは、この世の中が自分一人で成り立っていないのだからしょうがない、例えば、あなたが何かのスポーツで優勝したとする、そこには2位以下の人々の羨望や怨嗟の思想が渦巻くこともありえる。
 彼らにとって、あなたは善であろうか?
 そういう相対性、主観的なことではなくても、軽犯罪、ちょっとした交通違反などなら一度も犯したことがないという人は、皆無ではないだろうがほとんどいないはずだ。

 悪でない人間はほとんどいない、その時の拠り所は何か?
 哲学・宗教・・・・まぁ、それぞれの考え方があろう。

 最近は、宗教に関する本をよく読んでいる、以前、歩くために巡礼(坂東とか秩父の観音霊場など)をしたりしたこともあるが(あの当時は本当の宗教者にとっては失礼な人間であっただろうなぁ)、その当時とは視点が変わってきたと思うのだ。
 その視点が具体的にどう変わったかを記すのは難しい、ただし、いたずらに年齢を重ねた人間がそれでも心の平安を得たいという(どう考えても)エゴを満たすには、宗教的なものや哲学的なものに行くしかないのかなと思うのだ。

 そして、親鸞のいう他力にそのままはまりこむということができる人は素敵であると思う。
 それは、今の私には難しい、現世の欲望に簡単にハマってしまう程度の人間だからね。