110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

日本人の知性と心情(平井富雄著)

 本書は1981年三笠書房にて「日本的知性と心理」として出版されたものが改題されたもの。
 講談社学術文庫版を読んだが、もし、読みたいと言う人がいても、これは入手可能かどうかは自信が無い。

 精神科医としての著者が、その学識をもって、その時代の(言葉が拙いので恐縮だが)日本の社会状況をマクロ的に分析していくもの。
 すなわち、本書は1980年代の日本のある精神史と言っても良いかもしれない。
 ということは、既に、30年近くの時間的なギャップがあるのだ。
 こういう本を読むときは、否定的ではなく、肯定的に、今の立場から、本書を検証するという読み方が出きるのではないかと思っている。
 人によっては、1980年の精神史など、現在とかけ離れてしまって利用できない、そんなものに利用価値が無いと考える方もいるかもしれない。
 でも、歴史や文化は通時態の要素もあるのだからそういう一見無駄な読書も良いのではないかと思う。

 本書を読むと、現時点と随分状況が違うことがわかる、何が違うのだろうか?
 最近、昭和30年代や1980年代後期のバブルの時代など、昔の状況を取り扱った映画など出てきたが、あれはどういう見方がされたのだろうか?
 そういう映画を、別世界(フィクション)として見てしまうのか、それとも、現代につながっている事象(通時態)として見るのかで、大きく認識が異なるのではないだろうか?
 1980年に例えば60歳の人は、現在88歳、年齢的、思想的な構成を見ても、その後の世代と大きく入れ替わっている事が分かる(20歳~60歳の40年間を主労働期間とすると、思想的(精神史的)に過半数(28/40=70%)以上が入れ替わることになる。
 さて、その変化については、別に本書を読まずに、あれこれと資料を読んで持論を作れば良いと思うが、一節だけ引用してみよう(最後の結論の部分)。
 二十一世紀に向かって、日本の現実はこれまでにないほど大きな危機に遭遇するであろう。しかし、「日本人の知性と心情」をもちつづける人のいるかぎり、日本人は必ずやその危機をバネとして、新しい文化の誕生に寄与すると確信してよいのである。
 結語の部分というのはあまり意識せずに書き出されたものかもしれない、文章の収まりをつけるという意味もあるだろう。
 しかし、21世紀に存在する立場からは、この問いかけにどのように答えることができるだろう?