哲学的思考(西研著)
本書は2001年筑摩書房刊行のもの、現在はちくま学芸文庫で読むことができる。
哲学というジャンルは現在あまり元気が無いように思う。
かつての様に、学問の思想的中心という位置づけが望めないからかも知れない。
日本でも、哲学という切り口で初心者向けに著作を出す人が少なくなってきているようにも思う。
その中で、西研さんや、竹田青嗣さんなどは頑張っていると思う。
本書は、フッサールの現象学の分かりやすい解説を主に、あまりにも実証主義に偏り、その影響によるニヒリズムに陥っている現在の社会状況に対して、もう少し別の哲学のとらえ方ができないかと語りかけてくる。
実は、古い思想で実質的には終わっていると考えられているものが、意外に気がかりになる、それは、ヘーゲルやハイデッガーであり、最近は、アドルノやベンヤミンなどにも目が向いている(今回フッサールもリストに入る)。
現在から見ると、それぞれの思想は、論理的に批判され、欠点を指摘されているものだ。
しかし、良く考えてみると、その論理性なるものが、絶対的なのかということを考えしまう。
人が、自然という無限なものに対峙するとき、その有限性において、自分の存在可能な時間の中で、心惹かれる思想に出会うこと、そこへ「道草」するのは、なにか楽しいことなのではないかと思う(読むのは苦しいのだけれどね)。
ベンヤミンが、「次の時代に主になるものは、現在ガラクタのように埋もれているもの中にある」という様な事を書いていたと思うが、そんな宝石のような著作がまだまだ埋もれていることだろう。
そんな本を少しずつ読んで行きたい。
哲学というジャンルは現在あまり元気が無いように思う。
かつての様に、学問の思想的中心という位置づけが望めないからかも知れない。
日本でも、哲学という切り口で初心者向けに著作を出す人が少なくなってきているようにも思う。
その中で、西研さんや、竹田青嗣さんなどは頑張っていると思う。
本書は、フッサールの現象学の分かりやすい解説を主に、あまりにも実証主義に偏り、その影響によるニヒリズムに陥っている現在の社会状況に対して、もう少し別の哲学のとらえ方ができないかと語りかけてくる。
実は、古い思想で実質的には終わっていると考えられているものが、意外に気がかりになる、それは、ヘーゲルやハイデッガーであり、最近は、アドルノやベンヤミンなどにも目が向いている(今回フッサールもリストに入る)。
現在から見ると、それぞれの思想は、論理的に批判され、欠点を指摘されているものだ。
しかし、良く考えてみると、その論理性なるものが、絶対的なのかということを考えしまう。
人が、自然という無限なものに対峙するとき、その有限性において、自分の存在可能な時間の中で、心惹かれる思想に出会うこと、そこへ「道草」するのは、なにか楽しいことなのではないかと思う(読むのは苦しいのだけれどね)。
ベンヤミンが、「次の時代に主になるものは、現在ガラクタのように埋もれているもの中にある」という様な事を書いていたと思うが、そんな宝石のような著作がまだまだ埋もれていることだろう。
そんな本を少しずつ読んで行きたい。