メルロ=ポンティ・コレクション(モーリス・メルロ=ポンティ著)
ちくま学芸文庫版。
身体論に興味を持ったのが、思想系の読書に深入りするきっかけでした。
そうすると、避けて通れないのが、メルロ=ポンティだと思います。
本書は、これから、氏の著作に取り組む入り口として考えています。
本書では、身体論、政治論、芸術論と3つの要素に分けられると思いますが、政治や芸術に対する、文章を読むと、身体論とは異なる、氏の考え方が伺えて、興味深いところがあります。
全体としては、解説にある「言いえないものを言うために傾ける強靭な思想的営為」という内容(コンセプト)が、その対象を変えて表現されているように思われる。
確かに、現実に、私の「存在」それ自体が、つきつめて考えてゆくと、何かとらえどころの無いものになっていくことに気づき、それとともに、「わたし」という言葉(観念)で簡単にそのことをとらえてしまうという、不思議さ曖昧さも、常に(残念ながらそういうことはすぐ忘れてしまう)つきまとっている。
そんなことを考えたりした。
身体論に興味を持ったのが、思想系の読書に深入りするきっかけでした。
そうすると、避けて通れないのが、メルロ=ポンティだと思います。
本書は、これから、氏の著作に取り組む入り口として考えています。
本書では、身体論、政治論、芸術論と3つの要素に分けられると思いますが、政治や芸術に対する、文章を読むと、身体論とは異なる、氏の考え方が伺えて、興味深いところがあります。
全体としては、解説にある「言いえないものを言うために傾ける強靭な思想的営為」という内容(コンセプト)が、その対象を変えて表現されているように思われる。
確かに、現実に、私の「存在」それ自体が、つきつめて考えてゆくと、何かとらえどころの無いものになっていくことに気づき、それとともに、「わたし」という言葉(観念)で簡単にそのことをとらえてしまうという、不思議さ曖昧さも、常に(残念ながらそういうことはすぐ忘れてしまう)つきまとっている。
そんなことを考えたりした。