110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

難しいことなのだろうな

 私はあちこち歩き回るので、こんな事を考えるのだろうと思う。
 実は、歩行者どうしでも、対自転車でもそうだが、道ですれ違うと言うことは案外難しい。
 狭い道(歩道)などでもそうだが、広い道でも、相手が多人数だとその理不尽さが増大する。
 本来、その場所がどのような特性なのかに合わせて対応を考えるべきであろう。
 すなわち、殆どの場合は公道なのだから、通行時のストレスを最小限に抑えるのが道理だと思うのだが、どうもこれが出来る人が少なくなってきた。
 道いっぱいに広がって、対向者がきてもぎりぎりまでどかない、なるほど、それなりの理由はあるのだろうと思う、一番ありそうなのは、「この数人の中で、何で俺がどかなければならないのか」という理屈のように思う。
 でも、それはあくまで私的な理由だと思う。
 しかし、そのような公私の関係、そして(対)他人への関係が、曖昧に、または私的なものを優先してしまう風潮が現在の姿なのだろう。
 
 前から考えていたが、言葉(文字)では規制できない世の中なのだろうな・・・
 
 未だ、歩道上での歩行者と自転車の間での歩行者の優先性を理解していない人は多い。
 自分の住む新宿区は、全区間路上喫煙禁止だが、未だ、歩行者、自転車などで喫煙しながらすれ違う事が多い、あからさまなのは、他県ナンバーだが、自分の車の中では喫煙したくないらしく、外で喫煙していたドライバーがいた。
 ペットを連れて散歩をしている人の中にもそういうことを感じる事が多いな。
 
 本件、自分は何を言いたいのだろう?
 マナーの悪さを言いたいのだろうか?

 どちらかというと、本来理性的でなければならない場所(公共)でも、人間の自我(エゴ)を優先してしなう人が現れているように思う、それは、言葉(ロゴス)が相対的に退化している状況なのかもしれない。
 ただし、消費することで回転する現在の社会は、自我(欲望)が前面に出る事がその用件なわけだが・・・?