時間(吉田健一著)
本書は新潮社版1976年刊行のもの。
本書は、ある本にその文章が引用されていたのを覚えていた。
そして、たまたま古本屋に行くと、そこに置いてあった、当時のハードカバー版なので多少かさばるが、今となっては読む人も少ないのだろう、安価に入手できるので、私としては有難い。
時間というものの考え方は様々あるだろうが、吉田氏の捕らえ方もとても独特だと思う。
精神の捉える時間と、いわゆる自然科学でいうような物理的な時間を分けて考えることや、「現在」をどういう風に捉えるかという考え方については、大変面白く読ませてもらった。
現在の、思想や哲学はことさら自分(自我)を中心に世界を捉えることに否定的であるようにも思う。
それは、ある意味、唯心論が、独我論や間主観性の問題に、論理的に陥ってしまいがちな傾向にあるからにも思う。
例えば、唯識思想ならアラヤ識というものをどう捕らえるかということになるが、そのような事、いやもっと単純に、吉田氏の著作に現れるように、「現在」とは何かと考えることは「時間」というものを考える時にもっと重要な要素なのでは無いかと思った。
「時間」は(とりあえず)地球上では人間のものだと思っている人は読んでみて面白いかもしれない。
・・・ただ、多少難解な文章ではある。
本書は、ある本にその文章が引用されていたのを覚えていた。
そして、たまたま古本屋に行くと、そこに置いてあった、当時のハードカバー版なので多少かさばるが、今となっては読む人も少ないのだろう、安価に入手できるので、私としては有難い。
時間というものの考え方は様々あるだろうが、吉田氏の捕らえ方もとても独特だと思う。
精神の捉える時間と、いわゆる自然科学でいうような物理的な時間を分けて考えることや、「現在」をどういう風に捉えるかという考え方については、大変面白く読ませてもらった。
現在の、思想や哲学はことさら自分(自我)を中心に世界を捉えることに否定的であるようにも思う。
それは、ある意味、唯心論が、独我論や間主観性の問題に、論理的に陥ってしまいがちな傾向にあるからにも思う。
例えば、唯識思想ならアラヤ識というものをどう捕らえるかということになるが、そのような事、いやもっと単純に、吉田氏の著作に現れるように、「現在」とは何かと考えることは「時間」というものを考える時にもっと重要な要素なのでは無いかと思った。
「時間」は(とりあえず)地球上では人間のものだと思っている人は読んでみて面白いかもしれない。
・・・ただ、多少難解な文章ではある。