ニーチェとその影(三島憲一著)
本書は1990年未来社刊行のものに、新たに論文を付加した形で、講談社学術文庫版(1997年)で読むことができる。
ちなみに、ニーチェを殆ど読んでいないので本書については語る資格は無いな。
(・・・終了)
という分けにも行かないので、感じたことを書くと。
ニーチェというとニヒリズムという言葉を思い出してしまう。
しかし、そういう言葉で片付けられない要素があるように思える。
本書でも、ハーバーマスのニーチェ批判があるのだが、本来この批判というのは可能なのかということを考えてしまった。
理性、言葉などで表現できないことを表現しようとしているのがニーチェの著作ではないのかと思えてしまう。
そこには、仏教などでいう「空」やバタイユの「非ー知」のような領域にあるのではないか。
その著作の意味のずれに対して、ニーチェのある意味予言の的確なところを考えると、そこでは、既に言葉で語れないもの「沈黙(言葉では語れないって)」しかないのではないのかと思ってしまう。
そろそろ、私も沈黙するしかなくなってきたようだ。
ちなみに、ニーチェを殆ど読んでいないので本書については語る資格は無いな。
(・・・終了)
という分けにも行かないので、感じたことを書くと。
ニーチェというとニヒリズムという言葉を思い出してしまう。
しかし、そういう言葉で片付けられない要素があるように思える。
本書でも、ハーバーマスのニーチェ批判があるのだが、本来この批判というのは可能なのかということを考えてしまった。
理性、言葉などで表現できないことを表現しようとしているのがニーチェの著作ではないのかと思えてしまう。
そこには、仏教などでいう「空」やバタイユの「非ー知」のような領域にあるのではないか。
その著作の意味のずれに対して、ニーチェのある意味予言の的確なところを考えると、そこでは、既に言葉で語れないもの「沈黙(言葉では語れないって)」しかないのではないのかと思ってしまう。
そろそろ、私も沈黙するしかなくなってきたようだ。