臨床の知とは何か(中村雄二郎著)
本書は岩波新書版1992年刊行のもの(リサイクル書籍)。
発刊の時代性もあるのだろうが、脳死やインフォームド・コンセントと言った、医療に関する考察がテーマになっている。
そういう面では、古いイメージを持つが、内容を見ると、特に前半で「共通感覚論」や「魔女ランダ考」などの、氏が既に刊行した著作に関して、本書の思考の基底となるところを、分かりやすく説明しているところがある。
これは、氏の著作を読む、良い導入部となるような気がした。
「共通感覚論」や「魔女ランダ考」を、意味がわからないながら、一生懸命読んでいた時期を思い出してしまった。
そして、もうひとつの柱は、自然科学の進歩の過程で、余りにも「普遍性、論理性、客観性」に偏ったことに対する、警告があげられる。
これは、現在の環境問題の(現在は、警告段階ではなく(対応の)実践を迫られている段階だと思うが)一世代前の、温暖化、オゾンホール、酸性雨などのキーワードのころで(懐かしいですね)、この様な、解決に関して長期的に不経済を強いる類の問題は、なかなか進展しないことがわかる。
おもちゃで遊ぶのは楽しいけれど、ごたまぜになったものを片付けるのは大変だよね。
発刊の時代性もあるのだろうが、脳死やインフォームド・コンセントと言った、医療に関する考察がテーマになっている。
そういう面では、古いイメージを持つが、内容を見ると、特に前半で「共通感覚論」や「魔女ランダ考」などの、氏が既に刊行した著作に関して、本書の思考の基底となるところを、分かりやすく説明しているところがある。
これは、氏の著作を読む、良い導入部となるような気がした。
「共通感覚論」や「魔女ランダ考」を、意味がわからないながら、一生懸命読んでいた時期を思い出してしまった。
そして、もうひとつの柱は、自然科学の進歩の過程で、余りにも「普遍性、論理性、客観性」に偏ったことに対する、警告があげられる。
これは、現在の環境問題の(現在は、警告段階ではなく(対応の)実践を迫られている段階だと思うが)一世代前の、温暖化、オゾンホール、酸性雨などのキーワードのころで(懐かしいですね)、この様な、解決に関して長期的に不経済を強いる類の問題は、なかなか進展しないことがわかる。
おもちゃで遊ぶのは楽しいけれど、ごたまぜになったものを片付けるのは大変だよね。