唯物史観と国家論(廣松渉・山本耕一著)
本書は1989年講談社学術文庫版で読む。
最初の論文が難渋だったので、長く読みかけを積んでいたのだが、何故か突然読み始めた。
マルクス・エンゲルスの思想を参照に、物象化論を基にした国家そのものに対する幻想論・批判論を展開する。
マルクスの哲学思想に関しては、再度評価されるべきかもしれない、ただ、余りにイデオロギー的な面が強調されすぎている嫌いもある。
さて、本書では、マルクスがシェークスピアの『リチャード二世』を元に記した「人々は、国王が国王であるがゆえに自分達は臣下として振舞うかのように思い込んでいるが、実は、彼らが臣下として振舞うがゆえに、そしてそんかぎりでのみ、国王が国王なのだ」というところがある。
今の政治を見ると、国民の支持率が下がっても、その場所(地位)に居続ける首相などいるが、上記の内容から考えると、意味的に超越した何か理屈があるらしい。
いや、本書の国家(権力)の物象化理論では、そのような状況も説明できるなぁ・・・・。
そんなことを考えてしまった。
最初の論文が難渋だったので、長く読みかけを積んでいたのだが、何故か突然読み始めた。
マルクス・エンゲルスの思想を参照に、物象化論を基にした国家そのものに対する幻想論・批判論を展開する。
マルクスの哲学思想に関しては、再度評価されるべきかもしれない、ただ、余りにイデオロギー的な面が強調されすぎている嫌いもある。
さて、本書では、マルクスがシェークスピアの『リチャード二世』を元に記した「人々は、国王が国王であるがゆえに自分達は臣下として振舞うかのように思い込んでいるが、実は、彼らが臣下として振舞うがゆえに、そしてそんかぎりでのみ、国王が国王なのだ」というところがある。
今の政治を見ると、国民の支持率が下がっても、その場所(地位)に居続ける首相などいるが、上記の内容から考えると、意味的に超越した何か理屈があるらしい。
いや、本書の国家(権力)の物象化理論では、そのような状況も説明できるなぁ・・・・。
そんなことを考えてしまった。