110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

現代社会論(佐伯啓思著)

 本書は、筑摩書房「産業文明とポスト・モダン」1989年刊行のものに、加筆されたもの、講談社学術文庫1995年初版のものを読む。

 執筆年代から、現代社会という色合いは薄れているのかもしれないが、一時期、気になっていた、ポスト・モダンなる考え方や、その社会との関係を整理するには、丁度良い本なのかもしれない。

 現代の人は、既に、空気のように当然だと思っているかもしれないが、未だわからないことがある。
 例えば、現在は不況の状況だと思う。
 特に、私が関係している製造業は「ひどい状況」を越えている感じもする。
 しかし、株式市場などを見ると、それに、リニアに対応しない。
 素人目には変に反発して、値段が上がったりする。

 それは、私としては、こういう回答しか思い浮かばない、そういう実際の各個別企業と株式相場は、必ずしも連動していない・・・しかし、相関がゼロではないところが厄介。

 本書では、1980年代から、市場は仮想の世界になっていること。
 また、それまでの経済・政治対策の様に、ある意味形而上的な立場でとられたものが、実は、同じレベルにあったこと、すなわち、再帰的な関係にあることを本書では指摘しているようだ。
 再帰的なという事は、随分前にはやったが、複雑系ということであろう。

 だから、今回の政府による、大量の資金投入も、識者の見解が分かれるように、結果は分からない・・・蓋然性のもとにあるのだろう(かつての「ニューデール」政策も実は経済効果が無かったなどという説もあるらしい)。
 そして、以前マグロの話を書いた事があるが、消費・・・そして資金還流が経済の命の綱(血液)なのだろう。
 貧血をすれば、輸血をしなければならない、(古い思想の私からすれば)未来・借金を担保にして。

 でも、世界的に貧血したらどうなるだろうか?
 多分、ゲームのルールを変えるように、協調してリセットするのでは無いだろうか?
 しかし、そうはならないときはどうだろう、多分新しい国に、資金が蓄積されていることだろう。
 例えば、中国がそういう意味で、経済的に覇権を取るとどうなるのだろう?
 イデオロギー的には、最大の矛盾の様にも思えるのだが?

 門外漢の春夢というところかな。